慶應義塾大学理工学部 矢上台ニュース(1995年春)
就任に当たって
「塾風」
慶應義塾大学機械工学科専任講師 前野 隆司
「ピロティ」とはどこか、「ひようら」という不気味な言葉は何なのか、と悩んでいるうちに、季節は春から夏に変った。国立大学を卒業し民間企業に勤務していた私にとって、矢上の丘での毎日は、今も新鮮な驚き(と冷や汗)に満ちている。
「ひようら」「再レポ」などの単語もさることながら、特に新鮮に感じているのは、慶應義塾の「塾風」そのものである。私が以前持っていた慶應のイメージは、新しい改革に自由に取り組む大学、公募によりフェアに教員を採用(機械工学科)する大学、私学の雄、といったものだった。要するに、「新進」の気風の一流大学といったところだろうか。これに対し、実際に着任してから強く感じるのは、「伝統」の気風とでもいおうか。例えば、学生が礼儀正しい。最近企業に入ってくる新入社員のほとんどは驚くべき事に挨拶もできないのだが、慶應の学生は目上の者に丁寧な挨拶をするばかりか、親切で温厚。私に色々な助言をしてくれ感謝している。教職員の方々も然り。大学という所はBack to the futureのドクのような変わり者教授の巣窟かと思っていたが、ここはそうではない。親切で温厚な紳士たち!(ただし研究の議論になると壮絶に厳しい。何というメリハリ。)だがなぜ、ここでは人格者が輩出するのだろう?
ある日、塾報に掲載された塾長の大学入学式式辞を読み謎が解けた。塾の目的は、「文明の継承」「知的生産」「人格の陶冶」だという。前の2つは教育と研究に関連しており、他大学でも行っている。しかし「人格の陶冶」は行わない。そういえば私も人格を高める教育など受けた記憶がない。なるほど、慶應の独特な点は、人格教育を掲げていることなのだ。人間性や人格の育成を、慶應では伝統的に重要視してきたのだ。
独創性や先進性を育む「新進」の気風に加えて、人格を高めんとする「伝統」の気風。正直言ってとても気に入った。塾生と塾員が一致団結する理由もわかりかけた気がする。5月にはじめての慶早戦で若き血を歌った私も、これからは「新進」と「伝統」の塾風を担う一員として歩んでゆきたいと思う。