慶應義塾大学理工学部 矢上台ニュース(200011月)研究こぼれ話

 

おもしろい研究・おもしろい大学

 

前野 隆司

 

 研究の話を,と頼まれた。「ヒトの指紋はなぜあるのか?」という最近行った研究が学会賞をもらったり新聞に載ったりしたので期待されたのかも知れないが,これは恩師山崎先生と学部学生とともに指の変形と触覚受容器の応答をシミュレーションした単純な研究に過ぎない。ただ,誰もやっていない面白そうなことをやっただけである。
 そういえば,今年の春にめでたく京大理学部の人類学の助手として巣立っていった学生が,慶應とは(あるいは機械工学科などの工学系の学科とは,かも知れないが)カルチャーがあまりにも違う,と驚いていた。あちらでは「面白いかどうか」が最も大事な研究評価の視点だというのだ。
 確かに,(慶應には,とは言いませんが)世の中には,重箱の隅をつつきすぎていて,傍目から見て面白いとは言い難い研究があまりにも多いように思う。学会に行くと,90%くらいの発表はたいくつで面白くない。ジャーナルもしかりである。そもそも学会という組織は閉じた世界の中で相互評価し合い規模を拡大していく自己増殖型互助組織であり,官僚組織とよく似ている。一部の国際的な一流学会は別として,あってもなくてもいいような学会が多すぎるように思う。
 「面白い」研究とは何だろう?オリジナリティと普遍性があるのみならず,専門外の人にもわかりやすい研究ではないかと思う。難解な研究をされている方にはおこられそうだが,サイエンスやネーチャーに掲載されている研究,ノーベル賞級の研究,あるいは産業界の大発明などは専門外の者にとってもわかりやすくて面白い。多くの人が面白いと思うということは有益な研究であるということと高い相関を持つのではないかと思う。
 では,どんな研究が面白くわかりやすいのだろう。理学系の研究のおもしろさは「山があるから登るのだ」的でその魅力はわかりやすい。大いに夢を追って頂きたい。一方,工学系の研究が普遍的な面白さとわかりやすさをもつためには,閉じた学会の中での議論ではなく,何らかの形で広く社会に認知され社会還元されることが重要だと思う。
 企業から慶應に移って来たばかりの頃に,若手の飲み会で「企業で役に立つ研究をすべきだ」と言ったら誤解されて相当たたかれた。私が言いたかったのは,今年から研究センターで行われているようなすぐに産業界に還元できる研究のみならず,10年後,20年後に社会還元できるかも知れない(できないかも知れない)基本的かつ夢のある研究という意味である。しかし,そのような研究は少ないように思う。
 私が関わっているロボット学の例をあげると,日本ロボット学会は非常に議論が活発で一見面白いのではあるが,驚くべきことにそこでの研究成果が実用化されたという話はほとんど聞かない。世間を騒がせているホンダの二足歩行ロボットやソニーのAIBO,そして世界を凌駕している日本製産業用ロボットは,みな民間企業がやったことである。学会と産業界の乖離が甚だしい。
 一方,アメリカのロボット系の学会では,ロボットの基本的なアーキテクチャが提案されるのみならず,MITSalisburyによる力覚インタフェースPHANToMや内視鏡下手術用ロボットDaVinciUtahJakobsenによるハリウッドのエンターテイメントロボットなど,実用的なロボットが次々と提案されベンチャー企業化されている。素人から見ても実に面白い。
 そういう意味では,研究センターの今後は楽しみだ。工学系の研究者は,研究センターで面白い研究をし,特許を取得し,ベンチャー企業を興そうではないか!
 私も,微力ながら,サイエンスとしても面白く将来工学的に実用化されるともっと面白い研究を目指しているつもりである。たとえば「ヒトの触覚の研究」の他に,球体が自在に動く多自由度超音波モータ,誘電性樹脂を用いた柔軟冗長アクチュエータ,構造や運動を創発的に獲得するアクチュエータとロボット,テレイグジスタンスやバーチャルリアリティーのための触覚ディスプレーなど,ヒトの理解,新しい原理のアクチュエータ・センサのデザインと,人と接する人工物への適用を行い,機械工学に薔薇色の未来を夢見ている。

 さて,まだ紙面があるのでおもしろい大学のことを書こう。大学そのものも面白いことがキーになると思う。慶應に来た当初,慶應は私学の雄としてのユニークさ,個性,つまり面白さを持っていると強く感じた。ところが近年は,ふつうの研究重点化型無個性大学を目指しているようにも思える。そうではなく,慶應らしい面白さを出していかねばならないと思う。
 面白く個性的でレベルの高い大学となるためにはどうすればよいか。面白い教員を集めること,面白い学生を集めること,面白い学生を輩出すること,の3つだと思う。
 まず,面白い教員を集めるにはどうすればいいか。スタンフォード大学では,自分たちよりも優れた教員を獲得することに注力した結果,現在の地位を築いたという。慶應も,優秀で研究が面白く,願わくば人間的にも面白い人を集めることを最優先すべきだと思う。また,外国人に門戸を開くこと,工学系では優秀な企業経験者を採用することが重要だろう。さらには,集めるだけでなく頭脳流出の対策も重要である。
 面白い教員を集めて研究のアクティビティーを高めれば,面白い学生は自ずと集まってくる。偏差値で輪切りにされた学生だけでなく受験すれば東大に受かったような学生が,すでに慶應に多数集まっているのは,慶應が面白いからだろう。今後も,入試合格すれすれで入ってくる学生の採否ではなく,他大学に流れていく学生や入試では推し量れないユニークな学生を集めることに知恵を絞る必要があろう。AO入試の今後は楽しみである。少子化によるレベルの低下を危惧する声が聞こえるが,現在東大に入っている学生(のうち面白い学生)が慶應に来るようにすればいい。また,できれば海外からも学生が集まるようにすべきだろう。奨学金制度などにより合格者の授業料を入試の成績に反比例させて,優秀な学生を囲い込むのも手だろう。
 最後に重要なのは,優れた学生を輩出することである。教育のことを言うようになったらその大学教員の研究は2流だ,というばかな話を時々耳にするが,大学は教育機関である。学生をより高いレベルに仕上げて世に送り出すことは当然大学の使命である。教育には,授業による低学年教育と,研究を通しての高学年教育・大学院教育とがある。後者は,上述したようにおもしろい教員を集めてレベルの高い研究を行えばよい。前者については,学生による授業の評価を導入することが重要である。競争とフィードバックのない世界に発展がないことは社会主義の崩壊が示すとおりである。また,単一学期における科目数を減らし,ひとつの科目を月水金と集中的に行って理解を深めるなどの講義改革が必要であろう。いずれにせよ,入れ物(組織)の改革をやっている暇があったら(それをやることの意義もわかるが),実を伴う中身の改革をすべきだと思う。
 いろいろと散文的に書いたが,結論として言えることは,面白い大学で働いていることを面白く思うとともに,より面白い大学にしていきたいと思っているということである。