あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記



UCバークレー

  日本では東大が一番いい大学ということになっている。中央集権的である。地方自治が軽んぜられ人口が首都圏に集中したことと対応しているのだろうか。

  これに対しアメリカは「合州国」であり、各州が大きな自治権を持つ。例えば売上税についてみても、カリフォルニア州が10パーセント近いのに対し隣のオレゴン州ではゼロといった具合である。人々がワシントンやニューヨークに集中するわけでもなく、サンフランシスコにはサンフランシスコの、シカゴにはシカゴの文化がある。大学もそれに対応して、それぞれのカラーを持っている。日本的(中央集権的)価値観で考えると、ハーバードがアメリカの東大であるように思われがちだが、そうではない。僕の学んだ機械工学の分野では、UCバークレー(University of California at Berkeley 、カリフォルニア大学の本校。現地ではUCバークレーではなく単にUniversity of Californiaとか CAL(キャル)と呼ばれるが、ここでは日本での通例に従ってUCバークレーと書くことにする。)が、MITやスタンフォードと並んでトップクラスであるといわれている。学科によってそれは異なる。もちろん、ハーバードやMIT、スタンフォード、そしてUCバークレーなどは多くの学科がトップクラスにあるけれども、東大のようにすべてがナンバーワンという大学は存在しない。

  というわけで、UCバークレーの機械工学科は難関である。もちろん僕は研究員として在籍していただけで難関を突破したわけではない。が、学生は優秀な人が揃っていた。

  アメリカには受験地獄がなく誰でも行きたい大学に行けると思っている日本人が多いが、一部の名門校にそれは当てはまらない。確かにペーパーテストはないが、そのぶん高校の内申書が重視される。ある学生は、UCバークレーに入るためには高校の成績が日本で言うオール5である必要があると教えてくれた。

  僕が初めて研究室を訪れた時、教授は僕に選択肢を与えてくれた。大学での僕の机を研究室の9人の学生がいる部屋に置くか、客員教授たちと同じ部屋に置くか、だ。僕は前者を選んだ。同世代の人たちと接したいと思ったからである。後でわかったことだが、9人の学生の平均年齢はちょうど当時の僕と同じ29歳だった。大学を出た後一度働いてから大学院に進学した者が多いため、日本の大学院よりも年齢層が高いのだった。

  今思えば、同世代であることはさして重要ではなかった。同い年であろうと、20歳の年の差があろうと、アメリカでは友人は友人だ。互いにファーストネームで呼び合うことに変りはない。それよりも、同じ部屋で過ごして、彼ら(彼女ら)の学ぶ姿に接し得たことが良かった。彼らは良く勉強した。研究室ではもくもくと研究を続け、まじめに授業に出て、家では夜遅くまで宿題や試験の勉強をしていた。全く息の休まる間がないと言ってもよいほどだ。

  なぜ彼らは良く勉強するのか。

  自立しているからだと思う。逆に日本は巨大な幼稚園である感じがする。

  日本では勉強しなくても卒業できる。そして理工学部を出ると、成績に関係なく一流企業に入れる。初任給は一律で、少なくとも僕の年齢、30歳前後まではみな同等に賃金が増えていく。このようなシステムのもとでは学生が自らの意志で努力する気にならなくても当然である。

  これに対しアメリカの大学では勉強しないと卒業できない。さすがにバークレーでは卒業できない学生は少なかった。面白いのは、大学のレベルはもちろん、大学での成績が就職時の賃金に影響することである。勉強しないと将来の生活にかかわってくる。逆に勉強すればいい会社にいい年棒で入れる。

  何だ、給料を上げたいから勉強するのか。打算的ではないか。最初はそう思った。

  僕は、給料ではなく自分のしたい仕事をするために工学の研究者になったのだ。我ながら純粋で偉いではないか、そう思った。

  しかし、自分の収入をコントロールするのは本来自分の責任である。僕がまるで趣味のようにエンジニアの仕事を楽しめるのは、賃金と雇用の保証された日本的会社組織にどっぷりとつかっているからではないのか。会社に保護され、その中で幼稚園児のように無邪気に遊んでいるだけではないのか。大学の難易度や成績に関係なく一律の初任給を与えられる不平等なシステムに甘んじ、ぬるま湯に浸かっているだけではないのか。

  これに対し、アメリカの社会は自分の責任を要求する。一流の人間が、企業内で実績を上げることによって自分の価値を高め、転職を重ねる度に年棒を上昇させてゆく話は良く知られているが、このシステムは学生のころにすでに始まっているのだ。実績が芳しくないと解雇されるのと同様、成績が思わしくないと就職もままならない。実にリスキーで、一歩先には成功する自由と失敗する自由が紙一重で並んでいる。

  そんなわけで、日本的システムに慣れた者から見ると、彼らはリスクに打ち勝つためにがむしゃらに頑張らざるを得ず、たいへんそうに見える。その代り、うまく行けばアメリカンサクセスが待っているのだ。

  日本と、どちらがいいのだろう。

  平凡を望む者には日本がいいかも知れない。だが、一度しかない人生を個性的に生きたかったら、アメリカの方がいいかも知れない。



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