あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

おわりに

 アメリカに留学していたのは1990年から92年、このエッセイを書いたのは93年、そして、慶大に転職をしたのが95年だった。慶応に来てからは、生物に学ぶアクチュエータ、センサ、ロボットの研究をしている。特に、生物が環境と不可分の自己言及システムである点に学んだ創発ロボットなどのような。今思えば、現在の研究の原点は、やはり留学時代にあるような気がする。自己とは何か、自己と環境との関わりはどうなっているのか、といった哲学的な自問をする余裕のあった、ゆるやかな時間が流れていた日々に。また、大学での仕事の半分は教育である。私が教育者として十分な資質を備えているかは別としても、アメリカでの体験はいろいろな教育の場で多少なりとも役に立っているように思う。

 私が切に望むことは、多くの人に同様な体験をしてほしいということである。アメリカに限らないが、世界と直接接する機会を持ってほしい。もっと言えば、さらに踏み込んだ体験をしてほしい。私とちょうど同じ時期にバークレーの博士課程で学んでいた慶大のある教員は、客員研究員としてのアメリカ体験は、疑似体験にすぎないですよ、という。たしかに、世界から来た学生たちとまったく同じ土俵で戦う実体験をしてきた彼の言葉には説得力がある。

 それぞれの人に、それぞれのチャンスがあろう。深く、長く、世界に接する機会を、これからの若い人に持ってほしいと切に願う。(2000年冬)



 アリゾナの大地

前へ

目次に戻る