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本の感想 / 数ある脳のひとつ [関東] Email 引用

書店で「脳はなぜ『心』を作ったのか」を見つけて即購入し、一気に読んでしまいました、一般人です。非常に感銘をうけ、またいろいろ考えさせられたため、一言この感動を伝えたく、書き込みさせていただきました。
何しろ、僕の脳の「小びとたち」があちこちで声をあげまくっています。<私>にはとてもまとめることができません(まとめていると考えること自体が、幻想ですかね)。まだ本の内容で理解できていない部分もありますが、「何でもお気軽にご記入ください。」というお言葉に甘えて、思いつくままに感想をあげました。

今、非常にドキドキわくわくしています。社会・世間に大きな影響を与えるであろう考え方を、いち早く知ることができた、とてもトクしたなという満足感があります。これからこの考え方により、どんな社会が展開されるんだろう、と考えると何だかとても興奮します。僕は20代なので知らないですが、アポロが月に着陸した瞬間とかドキドキしたんじゃなかろうか、それと同じような感動かな、などと感じています。

たくさんの「小びとたち」が分散並列処理を行っていること自体が「考えている」ことになるという「仮説」、僕はとても気に入りました。まだうまく言い表あらわせませんが、<私>は独りじゃないんだ、孤独に生きているんじゃないんだ、という、とても楽しい気持ちと言うか、ほっとした気持ちと言うか・・・やっぱりうまく言い表せません。もう少し考えます。

精神病の考え方や解釈がすごく変わってしまいそうですね。統一した自我を持った<私>が錯覚だとすると、精神分裂病(今は「統合失調症」ですね、この言葉自体もなんかおかしくなりますね)や多重人格というのは、ちょっと違った錯覚の持ち方、ということになるんでしょうかね?専門家のご意見を知りたいところです。

心を持つロボット、早く見たいです。心を持ったロボットというのはSFの古典的なテーマの一つだと思いますが、先生が4章で展開しておられる未来像を読んで僕は「攻殻機動隊」という作品を真っ先に思い浮かべました。アニメ映画もありますが、マンガがオススメです。心を持ったロボットやアンドロイドが普通に流通していて、人間も脳以外すべてサイボーグ化したりしています。主人公が敵に追われて、脳みそだけになってトランクに入れられて逃げ延びるとか・・・人間とロボットの境界が限りなく曖昧になっている、そんな世界観の中で人間とは?心とは?といったことをテーマにしている、興味深い作品です。未来は、こんな社会になるんだろうか・・・?

心を持ったロボットは少し先になると思いますが、今のコンピュータも、この考え方で設計を考え直すことにより、今と同じハードで、ものすごい早い処理をできそうな気がしますが、どうなんでしょうかね?こちらも専門家のご意見を知りたいところです。

・・・夢想とも妄想ともつかない感想を長々と書き連ねてしまいました。掲示板の趣旨に合わない内容でしたら、削除してください。
けれども、それだけ何かを刺激される仮説だと思います。先生の今後のご活躍を期待しております。

長文、失礼いたしました。

No.30 - 2004/11/27(Sat) 15:46
また、お邪魔します / 潤平 Email 引用

以前お答えいただいた時、先生が「<私>が情報である」とお考えになっておられる事についてですが、質問させて頂いてよろしいでしょうか。

客観的な物質世界から構造的・論理的に演繹していくと、「私」の部分までは到達しえても、その次の<私>と<主観>には大きな隔たりがあるように感じてなりません。
「私」と<私>との対応関係は、物質世界と情報空間の(個人的には、因果関係という形で両者が対応しているような気がしますが)写像のような関係であると考えていいと思われますか?

突然の質問不躾かとも思いましたが、先生のお考えいただければ幸甚です。

No.22 - 2004/11/20(Sat) 16:53

Re: また、お邪魔します / 前野隆司 引用

「私」も<私>と同様クオリアを伴う情報なので,両者の構築困難さ(容易さ)のレベルは同じようなものだと思います。

No.24 - 2004/11/21(Sun) 00:04

Re: また、お邪魔します / 潤平 Email 引用

ご返事大変ありがとうございます。
なにか、自分勝手に質問して先生の貴重な時間を消費しているようで非常に心苦しいのですが、私だけでなく、世界中の<私>の、心のハードプロブレムに対する理解の一助になればと思っています。

先生のお考えでは,<私>は自己意識のクオリア、「私」は「意識」である、とされていますが、「私」=「意識」もクオリアで構成されているということでしょうか。だとすれば,僕の今回の質問は、『<私>や「私」といった情報空間上の構成物(クオリア)と、「自分」や脳といった物質的な構造物との対応がどのようになされているか』と言った方が適切だったと思います。ごめんなさい。
時間的、空間的に離れた所で再現された「自分」のコピー群は、各コピーに対応する情報構造が同一である限り、多対1の対応関係を持ってもいい気がするのですが・・・。
主観が固有に思えることの原因は、その<私>のクオリア(情報構造)が固有であることに由来するのでしょうか?

No.25 - 2004/11/21(Sun) 11:03

Re: また、お邪魔します / 前野隆司 [関東] 引用

時間的、空間的に離れた所で再現された「自分」のコピー群に対応する「私」や<私>は「自分」の一部であるので,他の個体の「私」や<私>にはなりえませんし,前にも書きましたように,多数の「自分」はできた時点から感覚入力が異なる(たとえば目で見る景色が異なる)わけですから,当然「私」や<私>は異なるのだと思います。

No.26 - 2004/11/22(Mon) 21:54

Re: また、お邪魔します / 潤平 [関東] Email 引用

丁寧なお答え有難うございます。

先生のご返事を元に、読み返させていただきましたが、
P118-119にある「錯覚」に関する記述に関して、どうしても理解に至らない
部分があります。
いずれの解釈が、先生のご意見にあたるのでしょうか?
もしくは、また別のご意見なのでしょうか?

@主観的経験およびその主体(生物に限定されない)が錯覚によるもので、
クオリアが錯覚によるものであることを含め、実際には存在しない。
A<私>や「知情意」といったクオリアは錯覚であるが、
主観的経験およびその主体の存在は否定されない。
Bそもそも、「存在するかしないか」ということ自体を
問題とすることが間違っている。

僕も先生と同様に、「自分がなぜ今の自分であるか」ということに対して
子供の頃から疑問に思っていました。
これまで、各方面の方の著作を読ませていただきましたが、
初めてこの疑問について明確な見解を持たれていると感じ、
いろいろと質問させていただいております。
ご容赦ください。

No.27 - 2004/11/24(Wed) 09:34

Re: また、お邪魔します / 前野隆司 [関東] 引用

こちらこそ,何度も丁寧に読んでいただきありがとうございます。
錯覚についての私の意見はAです。
錯覚図形を見たとき,主観的にはその図形を認知した!というクオリアが存在すると実感されるように,私や知情意についてのクオリアも,主観的には存在していると考えます。
客観的に観測できないと存在とはいえない,と言われてしまいますと,Bということになりますが・・・・・・。

No.28 - 2004/11/24(Wed) 14:10

Re: また、お邪魔します / 潤平 [関東] Email 引用

ご回答ありがとうございました。
主観的な事柄が存在するといえるかどうか、悩ましいところです。
情報に関する定義をもう少し勉強することにします。

ありがとうございました。

No.29 - 2004/11/25(Thu) 10:50
拝読しました / 村上  [関東] Email 引用

「脳はなぜ『心』を作ったのか」拝読いたしました。

この類の本にありがちな、理路の曖昧さを衒学的百万言
や形而上学的思弁に逃げ込んで覆い隠すこともなく、ま
た、断念して神秘主義に居直る事も無く、極めて簡潔か
つ明瞭に展開されていて、まず、好感が持てると言う
か、驚きました。勿論、仮説も納得の行くものでした。
特に、「エピソード記憶を組み立てる為に必要とされて
意識が生まれた」と言うのは、卓見です。また、「その
意識の意味記憶を組み立てると、<私>が意識に表象さ
れる」と言う説明で、意識と<私>の説明は、完了した
と思われます。
なお、<私>と自己意識、<私>のクオリア、につい
て、以下の二つの説明があり、やや、理解に支障をきた
しております。前野先生の真意をお聞かせ頂けると幸甚
です。
<私> = 自己意識  170、171ページ
<私> = 意識 − (意識 − 自己意識の意味記
憶) (= 自己意識の意味記憶)= <私>のクオリ
ア 118ページ

No.17 - 2004/11/19(Fri) 12:45

Re: 拝読しました / 前野隆司 引用

丁寧にお読みいただきありがとうございます。
170ページで書いた説明は,
<私>=自己意識のクオリア
という意味です。また,118ページで書いたのは,
<私>=「私」の自己意識−自己意識の意味記憶=自己意識のクオリア
という説明のつもりでした。したがって,170ページも118ページも同じことを言っています。しかし,説明がまどろっこしくてわかりにくかったかもしれません。ご理解いただけたでしょうか?

No.19 - 2004/11/19(Fri) 23:54

Re: 拝読しました / 村上 [関東] Email 引用

早速のお返事ありがとうございました。質問を書き込みました時には、ご著書がそばにないままでしたので、引用の正確さを欠く質問となっていたにもかかわらずご回答いただき、恐縮です。改めて、再読させていただきますと、指摘しました170ページ、118ぺーじのほかにも、「私」と<私>の定義とその相互連関についての記述がなされており、それらを再度熟読の上、更にお聞きするやも知れません。「私」= 意識 = ・・・のシステム、<私> = 自己意識のクオリア、「私」は、<私>を内包するとすると、範疇的には、システムがクオリアを内包すると言うことになると言ったあたりを、ご質問することになりそうな予感がします。今しばらくお時間ください。

しかし、本当に議論したいのは、この仮説に基づく意識システムの実装であります。

「思考実験的には、蒸気機関で動く機械システム(主要部品は鉄製である)として、1千億個のニューラルネットワークを論理的には構成可能である。為にする想定では有るが、どのような現代的装いの物理実体を構成要素としたものといえども、論理的にはこの鉄製のシステムと等価である。このような物理構成要素(鉄の塊)の上に、<私> = 自己意識のクオリア が、現出(幻出?)する、または、”立ち昇る” とは、到底納得しがたい。」と言った、反論が容易に想定されます。

そこで彼ら反論者は、マイクロチューブルといった、量子レベルの幻妙なる物理実体を仮想して、遁走する訳ですが、あくまでも、現行のノイマン型デジタルコンピューター程度の巨視的システムとしてそれを実装せんとする私(達)としては、仮に一千億個の鉄製ニューラルネットワークの集積であったとしても、それが、「私は、意識体である」と宣言した場合、それを基本的には受け入れるべきだと考えます。

元々、我々人類の各個体が、意識体であるということは、自己以外の個体については確証はなく、蓋然性の高さに基づく信憑でしかないわけで、一千億個の鉄製ニューラルネットワークの集積が意識システムとして機能しているかどうか、つまり、最終的に、そのうえに、自己意識のクオリアが、現出しているかどうかは、外部からは確かめようがない。からと言って、その蓋然性の低さゆえに、その信憑性を疑う訳にはいかないと考えます。

AIBOに「寂しかったでしょ。私が海外旅行に行ってた間、一人にしてて」と涙ぐんだり、古典的には、ドクターイライザに人格を幻視したりと言った愚さに論理的には等価な誤謬は、徹底的に排除しつつ、この仮説に基づく意識システムの実装に期待しています。

No.21 - 2004/11/20(Sat) 16:51

Re: 拝読しました / 前野隆司 引用

蒸気機関で動く鉄製の機械システムに1千億個のニューラルネットワークを構成可能であれば,もちろん問題なくそのシステムに<私>を持たせることができると私は思います。
なるべく早い時期に実際に作って証明したいものです。

No.23 - 2004/11/21(Sun) 00:01
早速読みました / 岡浩太郎 [関東] Email 引用

 前野さん、出版おめでとうございます。またご本をお送りいただきありがとうございました。昨晩から今朝三田に出かける途中で読みました。
 2章を読み始めたときに、前野さんは「デカルトの劇場」の話をしているのだなと思いました(あとで出てきますよね)。このとき見ている<私>は受動的に見ているのであって、どの役者(小人)が舞台に上がってくるのかは小人の声の大きさで決まる。また<私>はそれをエピソード記憶として順に記録している。というところあたりが大筋でしょうか?この劇場を受動的に見ている部位(ホムンクルス)については、前野さんの説明のレベルではあえて言及する必要はないのかも知れませんが、ホムンクルスが出てくると、そのホムンクルスの中にも「デカルトの劇場」があり、無限後退するのではとも思いますが?いかがでしょう?

No.18 - 2004/11/19(Fri) 14:40

Re: 早速読みました / 前野隆司 引用

「劇場を受動的に見ている」というのがポイントです。
「劇場を能動的に見る」というか,すべてを理解した上で見ようとすると,おっしゃる通り(茂木先生等がよく言われているように)ホムンクルス探しの無限縮退に陥ってしまいます。
私が言っているのは,まさにその問題を解決するためには,劇場で行われていることはほとんど理解していないのに,わかった気になっている(錯覚している)意識,というもの(川人先生の言い方を借りれば,脳の他の部位のウソの直列計算による近似であるところの順モデル)を仮定すればよい,ということです。うーん。うまく伝わっていませんかね。。。実は一番伝えたいところなんですけど。
またいろいろと別の説明を考えてみます。

No.20 - 2004/11/20(Sat) 00:06
拝見いたしました。 / 潤平 [関東] Email 引用

『脳はなぜ「心」を作ったのか』
出版おめでとうございます。
早速拝見いたしました。
内容の内、意識とエピソード記憶の部分を非常に興味深く読ませていただきました。

2点だけ疑問がまだ残っているのですが・・・。
@世界中に各人の<私>が並列的に在るなかで、自分(或る<私>)が或る「私」についての主観であることを、客観的な(既知の)物理的、論理的方法により導出できると思われますか?(そもそも、この問い自体ナンセンスかとも思いますが。)
A或る<私>は時間的・空間的に継続していると思われますか?

ご多忙中と存じますが、ご都合よろしければ先生のお考えを戴ければ幸甚です。

No.13 - 2004/11/17(Wed) 11:19

Re: 拝見いたしました。 / 前野隆司 [関東] 引用

ご質問ありがとうございます。
@私は,その問い自体が実はナンセンスだったのだ,という立ち場に立っています。本に書いたとおり,或る「私」が存在すると,その結果,それに対応した<私>が生成されると考えるので,この考え方が論理的に説明できていたら,「私」と<私>の関係は導出できていると思うのですが,そのようにご理解いただけなかったということはきちんと説明できていないということなんだと思います。すみません。
Aそもそも認知をするためには時間がかかるため,何らかの認知結果が(それが意識であったとしても)時間的に継続しているかどうか,という問いも実はナンセンスなのではないかと思います。でも意識は継続しているように思えますが,これは人間がそう錯覚するようにできている,ということなんだと思います。それから,<私>は情報なので,空間的次元は持たないのだと思います。

No.14 - 2004/11/17(Wed) 16:18

Re: 拝見いたしました。 / 潤平 [関東] Email 引用

早速のご返事恐縮です。
僕は、これまで漠然とですが、
自分が、何故ある<私>であるということは、量子力学でいう多元世界解釈的なものかと漠然と考えていました。
解答が難しそうな問は、設問自体を疑うべきですね。
先生のご意見を基にまた考えてみようと思います。

<私>が何かということに関してですが、
<私>とは、因果律で構成されたシステムの、状態ベクトル空間上の一点で表されるものということでしょうか?
それだと、或る「私」を物質的にコピーした直後で両者に差異が無い状態では、<私>は実質1つに縮退している気もしますが・・・。

また、いずれ質問させていただいてよろしいでしょうか?
本日は大変ありがとうございました。

No.15 - 2004/11/17(Wed) 17:46

Re: 拝見いたしました。 / 前野隆司 [関東] 引用

ふたつの<私>は,『或る「私」を物質的にコピーした瞬間』には縮退している,というか,全く同じ状態を示すでしょうが,その瞬間から感覚入力が異なる(たとえば目で見る景色が異なる)わけですから,直後に縮退が解けるのだと思います。
たいへん興味深い質問をどうもありがとうございました。

No.16 - 2004/11/17(Wed) 20:03
(No Subject) / 荒木 [北海道] 引用

まだ本は読んでないのでこのホームページからしか
前野さんの考えは知りえないのですが、面白そうだと思いました。本を手に入れて読んでみてから、何か感想を書いてみたいと思います。

No.12 - 2004/11/12(Fri) 18:01
(No Subject) / 川内野 [地球外] Email 引用

重要なところを書き忘れました.
ここのBBSでいう心の定義とは何でしょうか?

No.8 - 2004/10/30(Sat) 00:59

Re: (No Subject) / 前野隆司 [関東] 引用

故松本元先生の定義,「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」ですが,基本的に私が注目しているのは「意識」です。

No.10 - 2004/11/04(Thu) 16:52
心に必要なもの / 川内野 [地球外] Email 引用

前野先生は脳の中で心を構成するのに必要な部分は何があるとお考えでしょうか?
私は本能とか好き嫌いの中枢みたいなところが結構重要だと思います.何かの書籍で呼んだのですが,海馬を取り除いてしまい,新しく記憶ができなくなった人のエピソードを読む限りはその人には心があったように思います.なので記憶されたものは必要かもしれませんが,記憶できることは必要でないようです.また,ロボトミー手術をして意欲を失った人は,書籍のエピソードを見る限りは心がなくなってしまったかのように見えたと思いますので,意欲は必要かもしれません.意識はどっちでしょうね.もし意識を持っていない人がいたら自分に心があるなんて思いもしないかもしれませんが,周りから見たら心を持っている人に見えるかもしれません.でも「心」を定義しないとこういう議論はできませんね.

No.7 - 2004/10/30(Sat) 00:55

Re: 心に必要なもの / 前野隆司 [関東] 引用

犬や猫などのペットにも心があるように感じますよね。外から見て心のように感じられるかどうかという議論はあいまいだと思います。だから,意識がなくても心のように感じるケースはあるかもしれません。
本には書きましたが,私の心の定義は,故松本元先生の定義,「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」に従っています。

No.9 - 2004/11/04(Thu) 16:51
著作、期待しています! / 岡浩太郎 [関東] Email 引用

前野さんによる心の解明、期待しています。ところでロボット(または機械)が心を持つというのは、具体的にはどのようなテストにパスしたら「心を持った」と認めればいいのでしょうか?

No.4 - 2004/09/06(Mon) 20:54

Re: 著作、期待しています! / まえの 引用

おっ,岡先生じゃないですか。初の書き込みありがとうございます。恐縮です。
つまんない答えですが,やっぱりチューリングテストにパスすることが第1ステップだと思います。ただし,心を持っていなくてもチューリングテストにパスすることはありえるでしょうから,もっと狭い条件が必要になるのかも知れません。
某S社は,自分のところのロボットは「走った」と言っていますが,「あれは走っているのではない」という人もいます。この例と同じで,最後は世論が決めるんですかね。

No.5 - 2004/09/11(Sat) 21:32
BBS開設 / maeno [関東] Home Email 引用

心の話に興味を持つ方の意見交換の場とするために,試しにBBSを開設してみます。

No.1 - 2004/06/15(Tue) 22:31

Re: BBS開設 / maeno [関東] Home Email 引用

ご意見のある方はお寄せください。

No.2 - 2004/06/15(Tue) 22:32
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