05879
+ 心のB B S +

教育的観点から・・・ / げんさん [九州] Email 引用

先生の著書を拝読して、科学的な説とお考えの双方に、私の脳の共感する「小びと」が大声をあげました。(あげたようです。「私」がそれを観測したようなので・・・)私も、将来「心」をもったロボットができると考えています。様々な思想や哲学的な意見が正論として反対しようとも、時代はもはやそれをとめることは出来そうにない様です。クローンや心を持ったロボットも然りであると考えます。私は工業高校の機械科の教師ですが、むしろ「心」の開発に携わりたいとも考える程です。
また、もう一つの私の責務である人を育てる教師という立場から考えても、「心」の本当の正体を知ることは、大変重要で探り当てるべきものと考えます。教育的な観点から先生の説を受け止め誠実に解釈すると、あらゆる教育問題が解決するように感じるのはいささか突飛でしょうか?
例えば私は、先生の本を読んでから、万引きをした生徒に「君」がしたことは悪いことだ、とはもはや言えないような気がするのです。(実際にはちゃんと指導しますが、私の「小びと」たちはそう葛藤しているようです・・・)同じようなことは人類が抱える諸悪の事例に対して、当てはまるような気がするのです。その人は、そうせざるを得ないのではないか、そう考えたとき、新しい教育のあり方が見えてくるように思います。差別や人権侵害の問題についても同様です。どうやら「私」は、まず先生の説をバイブルとして、ロボットの人権を考える前に、今現在生きている人間のそういった問題に対して、しばらく考えてみようと私の「小びと」たちが議論していることを自分の意思として感じているようです。(先生、この表現間違っていませんか?)そして、将来は、教育的な観点から私の考えを教育界に提唱できるようになったらと考えています。先生、またいろいろ教えてください。

No.104 - 2005/07/16(Sat) 20:43

Re: 教育的観点から・・・ / maeno 引用

投稿ありがとうございます。私と同じ機械工学の先生なのですね。
万引きをした生徒に「君」の意識がしたことだとはもはや言えないのですが,君の身体の一部である小びとたちがした事だ,とはいえるわけですよね。教育的な観点からのお考えがまとまりましたら是非聞かせてください。宜しくお願いいたします。

No.107 - 2005/07/22(Fri) 00:30
心について / 大井 今朝雄 [関東] Home Email 引用

先生のHPを見ました

私は心と頭(脳)は良く似ています。しかし心と頭は、まったく違うものと確信をしております。現在は心は頭の前頭葉の働きとされておりますが、心の研究が頭の研究とすり返られているとおもわれます。
心の研究は、哲学、仏教学、から入るのが正しい研究と思う訳です。人間の頭は心の指示で動いているのです。
参考の為に私の体験を御覧下さい。
http://www14.plala.or.jp/kesakando
まだ世間では認められておりませんが、ソクラテスや、空海、松下幸之助、宮沢賢治の体験です。
心の研究に何かお役に立ちましたらご利用ください。

No.101 - 2005/07/05(Tue) 07:08

Re: 心について / maeno 引用

ご意見・ご紹介をありがとうございます。
大井さんと私とはスタンスが異なるようですが,異分野交流は大いに刺激になりますので,HPをじっくり読ませていただきたいと思います。宜しくお願い致します。

No.103 - 2005/07/06(Wed) 10:32
共感しました / CrazyBlue 引用

はじめまして。先生の興味深い理論に共感を覚えました。

個人的に近いことを考えていましたが、雑然としていました。貴論文を拝読し、ある程度(?)整理されました。ありがとうございます。つきまして、ご見解を聞きたく、以下のような質問を投げさせて頂きました。

@無目的的なシステムである「無意識」が何らかの秩序を自己組織化する理由として、”埋め込まれている情報処理の再帰的連鎖”による、とされていますが、具体的にどのようなイメージなんでしょうか?

A「無意識」システムは多数の「無意識」サブモジュールが再帰的に結合したシステムとのお考えですが、それは結果的に様々な階層的な入れ子構造を動的に成さしめている、と捉えてよろしいでしょうか?

B多彩な境遇の体験は、「無意識」下の活動を豊富にし、それにより「意識」への昇華(押上げ)の頻度が高くなるので、自己意識の存在をより感じやすくさせる...という考えは、先生のお考えに通じますでしょうか?(美味しい料理を色々食すことで、舌が肥えるといいますが)

C少し怪しい話になりますが、生体移植された患者さんがドナーにまつわる記憶を体験すると巷ではよく噂されていますが、ドナーの身体性もしくは「無意識」システムの要素を、臓器などを介して共有してしまったから、そういう体験をしてしまったのでは?一般の動物は地球という生態を活動空間として共有しているので、「無意識」下の活動には多少なりとも重複する因子があるので、移植患者は自身の「無意識」の中でドナーの「無意識」を補完して、たまたまそれが「意識」に昇華して、錯覚体験を覚えたのではないでしょうか?

No.100 - 2005/06/22(Wed) 17:51

Re: 共感しました / maeno 引用

共感いただき光栄です。以下,お答えします。

@例えると,会議みたいなものでしょうか。

A結果的に様々な階層的な入れ子構造を動的に成さしめている,と言ってもいいと思います。

B体験が豊富だと自己意識の存在をより感じやすいかどうかはわかりませんが,触覚の感度が人によって違うように,自己意識の感度も人によって違うと思います(No.71参照)。

C「無意識」はあくまで脳にあるので,内臓を移植してもドナーの神経活動が再現されるようなことはないと思います。 

No.102 - 2005/07/06(Wed) 10:28
(No Subject) / 海月 [近畿] 引用

はじめまして。
http://philosophy.bbs.thebbs.jp/1105494664/
実はこちらでいくつかの疑問が生じているんですが・・・
素人集団ですが、答えて頂ければ大変ありがたいです。

>しかし、この受動意識仮説は人間の意識を錯覚である>とするのですから、それは犯罪者の意識にも当てはま>り、人間は(錯覚であるにせよ)理性を持つが故に
>「犯罪者を裁く」というシステムに、もはや今までの>ような意味(主体を裁く)を見出せないのではなかろうか

No.89 - 2005/04/29(Fri) 03:10

Re: (No Subject) / maeno Email 引用

個人=意識 である,と考えると,意識は主体的ではないわけですから,裁けなくなってしまいます。
ですから,個人=意識+無意識 と考えるんでしょうね。

No.94 - 2005/04/29(Fri) 11:18
意識所有の証明について / kanno 引用

浦賀和宏の『記憶の果て』という小説での、登場人物が意識の有無について話し合う場面では、人間であれ機械であれ、その対象が本当に意識を有しているか否かを決定することは不可能とのことでした。
ただ、意識を持っていると定義付けているにすぎないとも言っています。
この小説でも意識の有無の判定にに肉薄するようなアイデアはとうとう示されませんでした。
この問題は相当難解らしく、浦賀氏の才能をもってしても歯が立たないようでした。
「このロボットは意識を有しています!」
と言う為にはそのロボットの意識所有の証明が不可欠となりそうです。
この点に関して何かよいアイデアがございましたら、お教え下さい。

No.75 - 2005/02/24(Thu) 21:11

Re: 意識所有の証明について / maeno Email 引用

演繹的な証明は,残念ながら不可能なのではないかと思います。
帰納的に,私もあなたも他の多くの人も心を持っているから人間は全員心を持っていると考えられるように,ロボットも,心を持っていると絶対多数の人が認めた時に,認められる,という事なんだと思います。

No.93 - 2005/04/29(Fri) 11:15
受動的な意識 / 潤平 引用

またお邪魔します。

「受動的な意識」ということで、ふと浮かんだのですが、「能動的」なのは意識する前のこびとたちのネットワーク活動ということでしょうか?

意識の0.5秒の遅れに関してですが、「受動的な意識」を前提とすると、脳の構造上そのくらいの遅れは自然なことと思えます。

生物として、生存競争を勝ち残っていくためには、意識していようとしていまいと、まず個体としての自分が何をすべきか決めるのが重要だったのでは?意識するのを0.5秒待ってから動いたのでは、生き残れないでしょう。それよりも、反射的に対応した自分の行動を事後的に意識で検証・記録して今後の行動に役立てているとしたほうが、よほど建設的に思われます。(そう考えると、意識の役割は生物が行動・決定するロジックのプログラマーに近くなってしまいますが…。)

No.72 - 2005/02/12(Sat) 09:39

Re: 受動的な意識 / maeno Email 引用

おっしゃる通り,「能動的」なのは意識する前のこびとたちのネットワーク活動ということです。
生物が生存競争を勝ち残るために,まず個体としての自分が何をすべきか決めてから,ゆっくり意識する,という説明で正しいと思います。

No.92 - 2005/04/29(Fri) 11:13
言語と他者 / kensuke [北海道] 引用

 何気なく購入して、とてもうれしい気持ちになったので書き込ませていただきます。
「自分がなくなれば世界もなくなる」
こう感じていた子供のころに、答えをあげられそうです。
「それ自体に意味がある」と。

「意識は言葉から成る。
 言葉は元々伝達の道具であるから、
 他人に伝えるべきことが意識化される」
どこかの哲学者の言葉です。
「言葉」というものに僕はとてもこだわりがあるのですが、「小人」は他人ではなくて、個体としての「自分」だったのですね。

他人を認知する時は、「赤いりんご」のように
その人の「小人たち」を含めた個人の「存在」ですよね?
でも、自分というものは「クオリア」とします。
そのクオリアを「自分」、認知した他者を「他人」としたら、(そう比較したら)
「自分には(他のみんなと違って)何かがたりないんじゃないか」
こう考えるようになると思いました。
錯覚としての「自分」を、探したり、誇張したり、戒めたり、励ましたりする不自然さ(という錯覚なんですけど)に苦しむ現代に、これは心理学的(療法として)にすごく有効なのではないか?こう感じました。
これからこう拡がりを見せそうですね。

理解不足なままの、幼い感想とまとまりのない文章で申し訳ないです。
素敵な感覚をありがとうございました。

No.73 - 2005/02/12(Sat) 21:59

Re: 言語と他者 / maeno Email 引用

意識は言語のために生まれた,と考える方が多いようなのですが,私はそうではないのではないかと思っています。言葉にならない意識状態,というのはよくありますし,チンパンジーも意識を持っていると思うので。
それから,心理療法として効くのではないかというお言葉。現時点では私にはどのように適用できるのかイメージできませんが,考えてみたいと思います。
どうもありがとうございました。

No.91 - 2005/04/29(Fri) 11:07
良い本を読ませて頂きました。 / つかもと [関東] Email 引用

先生の著書を読んでとても驚きました。私も小さい頃同じようなことで良く悩みました。意識が指先でものを感じるクオリアと同じクオリアであるという考え、納得できます。

読書後、昔見た映画「2001年宇宙の旅」で意識を持つ巨大コンピュータのHALが分解と共に少しずつ意識を失っていく様子を思い出してしまいました。多分、人の脳も少しずつ分解して取り外して行くと、だんだんと意識が薄くなっていくのでしょうね。

指先が敏感な人と鈍感な人がいるように、意識が濃い人と薄い人もいそうです。価値観が変わりそうで怖いです。

ありがとうございました。

No.71 - 2005/02/08(Tue) 20:38

Re: 良い本を読ませて頂きました。 / maeno Email 引用

意識の濃い人と薄い人,というのはとても面白い視点だと思います。その通り,きっと,意識の濃い人と薄い人がいるんでしょうね。

No.90 - 2005/04/29(Fri) 11:02
「こころと未来」 / ねぎし [関東] Email 引用

 初に投稿致します。多くの点で誠に示唆に富む貴著であり「こころ」より感謝しています。これだけのインパクトを頂き、もっとも大切な恩返しを一日も早くと思う余り不十分な咀嚼ながらまずは読後感をここにアップロードさせて頂きます。とは言えたった一度の通読とHP等のスキミングのみからの感想であり、多くの読み落し・誤解もあるでしょう。その節はご容赦賜りたく存じます。

 貴著の説かれる論調に大筋では賛成ながらも、感覚的に相容れない部分が存在している事も否定できない。特に「意思」・「夢」・「希望」・「ビジョン」・そして「目的」等人生の意義に関わる領域が、貴理論ではまだ十分にカバーされていないように感じる。言い換えれば時間軸に於いて「過去」・「現在」の説明は得心できるが、「未来」については更なるご研究が必要ではなかろうか。以下具体例を基に説明する。

 Q15 ロボットがそんなにすごくなるとしたら,ヒトとの差は無くなっていくのですか?の答えの最後に:

 ”映画「アイ,ロボット」の最後の方のシーンが印象的でした。目的を失ったロボットが,人と同じように目的を探すことこそが生きることなのだと自覚する場面があります。まさにその通りで,心を持ったロボットとは,明示的に与えられた目的を持たないロボット,ということなのだと思っています。”と答えられている。

 そもそも「目的を失ったロボット」が「人と同じように目的を探す事こそが生きる事なのだと自覚する」と言う解説。これこそ自明的に「こころの目的」と言う命題の存在を指し示しているように私には思える。しかし、貴著の議論を時間軸から整理してみると「過去」・「現在」が多く、未来は希薄。あってもごく近未来の「意志」程度。しかし合目的的に生きようとするのであれば、単にエピソード記憶と言う「過去」・「現在」のみに<私>が存在するのではなく、「よき人生を全うする→その為には」という連鎖が、当然未来に対する思いに展開する。

 その典型が昨年のアテネ等でまた脚光を浴びた「夢」・「希望」・「目標」と言う未来への「意思」。すなわち将来の時間軸に自らを投影して自ら、すなわち「小人たち」を律してゆく「こころの未来派」の働きであろう。しかし貴著の中では「こびとたち」の意思決定方法は「民主的」合議制と述べて居り、決して「未来派」が支配的な立場ではない。それとも合目的的と言うことだけで「未来派」がロジカルに「こころ」を支配できるのであろうか。あるいはある意味で最も謎を残しているクオリアが、この答えをもっているのであろうか。貴著でも引用されている松本元氏は「愛」こそが脳を活性化させるとも述べている。崇高な理念が人々を高揚させる事は自明であり、多くの芸術が目指す目標でもある。

 既に貴著、HP等に於いて多くの改良予告をなさっておられる事自体、将来を見据えた合目的的活動予定を宣言されておられる事と同義。この「未来派のこびとたちのはたらき」と<私>との関わりを、是非とも絵解きして頂きたいと願うものである。

No.70 - 2005/02/06(Sun) 13:58
お返事用のネタを使っちゃいました / NORTON3rd 引用

ちょっとご無沙汰しています

先生から「おかしいと思うなら指摘してほしい」という、折角のお便りを頂きながら、書けずにいたところ(特に昆虫の脳の能力について)、さる掲示板で似たようね話が出て、ネタをそっちへ使ってしまいました(笑)

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&action=m&mid=33578&mid=

ちょっと、申し訳ないので宣伝をかねて、本の紹介をしたら、結構盛り上がっています
宣伝費ください(大笑)。まだ新たに買った方はいないみたいですが

あと、釈尊の無我の思想については下の佐倉哲氏のサイトがわかりやすいと思います
要するに釈尊は人間の構成要素を(当時まだ脳の働きなんでわかってませんよ)当時の伝統的な分類法にしたがって肉体(色)・感覚(受)・想念(想)・意志(行)・認識(識)の五種に分解し
、いずれも我(まあ、タマシイみたいなイメージも含んでいるんでしょうね)ではない。我というものは実態的に存在するわけではなく、原因と条件があって生ずる現象なんだと(たしか、燃えているマキの炎のたとえもあったかな)主張したわけです(無我説)


http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_0.html

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism33.html

したの問答のところはおしまいの佐倉氏の回答だけ読めば十分だと思います

No.69 - 2005/02/05(Sat) 15:14
前へ  次へ