あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

5 学生たち

  留学当初、9人いたCML(Conputer Mechanics Laboratory、コンピュータメカニクス研究所)の学生たち。彼らの印象として強く残っているのは、彼らが良く学ぶだけでなく、紳士淑女だったという点である。英語もつたなく、研究室のことも良くわからない僕に、聞くと何でもていねいなアドバイスを与えてくれた。平均年齢が29歳(年齢に言及するのはタブーだ!)と、日本の大学院学生よりも年を取っているぶん人間ができていたのかも知れない。

成績と人格はアメリカでは比例するのだ、という話もある。日本からある無名大学に留学していた知り合いは、アメリカ人はがさつで無礼だと憤懣を述べていた。僕が知り合った人たちに対する思いとあまりに違っているので驚いたものだ。一流校の人間は一流の社交術を身につけているようであり、格差の激しいことは周知の通りアメリカの特徴であるという事実の一例であろう。いずれにせよ、僕が短い留学期間に交わり得た人たちがアメリカの一面しか表していないであろうことは断っておきたい。

  僕はアメリカに行く前には、アメリカ人は、雄弁で論理的、自己主張が強く議論好き、というイメージを持っていた。雄弁ではない僕はうらやましく思う反面、過大解釈して悪いイメージを持っていたことを否定できない。自分勝手で冷たい、というような。そして初めに出会ったアメリカ人、ブジー教授や研究室の学生たちは、僕の考えが誤っていたことを教えてくれた。

  確かに彼らは論理的で話がうまい。しかし、今思えば当り前だが、それと、自分勝手とか冷たいという概念とは何の関係もない。少なくとも、研究室内でのやり取りにおいて、日本人と欧米人、あるいは台湾人や韓国人の考え方にさほど違いはないと感じた。それどころか、優しさ、寛大さにという面においては、東洋人よりも西洋人の方が勝っているのではないだろうか。

  いずれにせよ、大学院の学生たちにはいろいろと教えてもらった。心から感謝している。

  右も左もわからず、誰も知り合いのいないアメリカでの生活を無事スタートできたのは彼らのおかげだと言っても過言ではない。

  親切さに関連して思い出すのは、僕は英語に敬語があることにすら驚くほど無知であったという点だ。英語には実に多様な敬語表現があり、アメリカ人はそれを実に繊細に使いこなす。そんな常識すら知らなかったのだから、僕は日本人の恥をさらしに行ったようなものだ。

  日米のイエスとノーの違いを含む例だが、渡米したばかりのころ、学生に、

Would you mind if I use this computer?

と聞かれ、日本語に訳し、このコンピュータを使ってもいいですか、という意味だな、よし、と一呼吸おいて、

       Yes, of course!

と答えたことがあった。彼は一瞬驚いたようだが、すぐに僕の間違いに気付き、

       Oh, you mind!

と、おどけて派手なジェスチャーをしたものだった。否定形の疑問文に対し、文意が真である場合にはNoで答える、つまり、右の例の場合には No, I don't (mind).  と答える英語の文法に関する基本的な間違いだった。この、日米の文法の相違に慣れるのには苦労したものだ。2年間でやっとマスターしたと思ったら、今は日本語の否定形の疑問文に間違って答えてしまうありさまである。20歳を越えると歳とともに頭が固くなるというのは本当だと思う。

  さて、年月が経過するにつれ、彼らの僕への敬語表現はスラングに変っていった。同じ研究室内で過ごし、研究への情熱と成功への夢という共通の価値観を分ち合えた彼らとは国境を越えて親しくなれた。実は人の間に国境などない。人は国籍によって、さほど違うものではない。違うのは言葉や習慣といった表面的なことだけなのだ。国籍による偏差よりも、一つの国の中での個人差の方がよっぽど大きい。今の僕にはそう思える。

  UCバークレーで共に学んだ9人の学生たち。今となっては僕の大事な旧友たちだ。彼らが、優秀な成績で博士号を取得し、その後成功した人生を満喫しててゆくことを祈っている。



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