あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

7 車椅子

  重いスーツケースを抱えて日本に帰ってきたとき、一つ驚いたことがある。いや、驚いたことは限りなくあった。逆カルチャーショックというやつだ。その中で、最初に驚いたことが、自分のスーツケースの重さだった。

  成田空港から、当時の大田区の家まで僕は電車を乗り継いで帰ったのだが、その間混雑した駅の階段を何度昇り降りしただろうか。会社帰りの人々の迷惑そうな視線を感じながら、生活用品がめいっぱい詰まった最大サイズのスーツケースを持ち上げ、階段を昇り、降りたものだ。あまりのスーツケースの重さに、家に帰り着いたときにはもう何も持てないくらいへとへとだった。

  日本でスーツケースを持ち上げることの辛さを認識して初めて気付いたのだが、バークレーのアパートからサンフランシスコ空港までの道のりでは、僕は一度もあのいまいましいスーツケースを抱えあげる必要がなかった。アパートでも街でも駅でも空港でも、僕はたった一つの段差さえも通過しなかったのだ。段差のある場所には必ずスロープが設けられていた。地下鉄の駅には必ずエスカレーターがあった。

  なんて人に優しい街造りだったことか。

  これだから、アメリカでは老人や身体障害者の人が活き活きと暮らせるのではないか。

  バークレーに着いて間もないころ、街に車椅子に乗った人があふれていることに気付き、驚いたものだ。一日外を歩いていると、何度も車椅子を見かける。それも、手動式、電動式、障害の場所や程度に応じた様々な形があった。人が横になったまま移動しているという電動タイプまであり、これにはあまりの驚きに凝視してしまったものだ。

  このように車椅子に乗った人達が街に出かけられる理由の一つは、階段や段差を通過する必要がないことだ。なんて、社会資本が整備されていることか。

  それにひきかえ日本はなぜこんなに遅れているのだろう。

  半世紀以上も世界一の座にあり続けた国と、戦後にゼロからスタートした国とのストックの差だろうか。それもあろう。しかし、日本も既に豊かな時を何年も経験してきたはずだ。戦後既に50年、今や1人当たりGDPは世界一だ。

  にもかかわらず日本の街には、段差が、階段が、歩道橋が、あふれている。弱者にとって住みやすい街作りを行うというあたりまえの概念がおざなりにされてきたためと思わざるを得ない。あたりまえのこともまだ備わっていない2流の国です、と、世界に対して恥をさらしているかのようだ。

  もちろん、徐々にではあるが街から段差が減りつつはある。エスカレーターも増えている。アメリカでは一度も見ることのなかった歩道橋も、もしかしたら減り始めているのかも知れない。

  老齢人口の急増が叫ばれている折りでもあり、願わくは、老人や身体障害者がゆったりと外出できるような優しい街造りが、日本でも行われるようになってほしいものだ。

  ではなぜ、アメリカでは弱者に優しい街造りが進んでいるのだろう。

  一つには、資産格差が日本よりも格段に大きいことがあるのではないだろうか。

  アメリカは自由主義国家であり、自分の力で成功する自由が日本よりも大きい。反面貧富の差は大きい。サラリーマン一つ取ってみても、終身雇用が保証されないことや、保険料を給料から天引きされない代りに医療費が高額であることなど、日本にないリスクがある。もしも失業したり病気になった場合には、資産がないとかなり苦しいだろう。

  貧富の格差が拡大するシステムは好ましくないと思う。その点では、世界に類を見ないと言われたかつての日本の一億総中流国家は優れていた。しかし今の日本の政策は、累進課税制度の累進性を緩和し、間接税率を増大させて、貧富の格差拡大を容認する方向に向かっているようだ。このやり方では、将来の日本は今のアメリカのようになっていくのではないだろうか。すなわち、貧富の差は大きく、失業者の多い社会に。

  アメリカではこの資産格差を補完するために社会保障制度が発展したのではないかと思う。この国では、まじめに自動車の組立を行っていた者が突然解雇されてしまう。彼らワーカーには何の罪もなさそうである。そんな弱者を救済するために、強者の資金によって社会資本の整備が進んだのではないだろうか。

  理由は何であれ、社会には弱い者に対するいたわりがあって然るべきだろう。そんな意味では、アメリカの社会は日本の社会に勝っているように思う。

  日本は、資産格差といったアメリカの悪い面でなく、社会福祉のような良い面を手本にして発展してゆけるのだろうか。

  さて、バークレーは、実はアメリカの中でも特に身体障害者のための行政が進んでいる地域なのだそうだ。留学当初通っていた語学学校で同じクラスだった日本人の友人が教えてくれた。彼は、小児麻痺だった。車椅子に乗っていた。UCバークレーが貸してくれたという最新鋭の電動式車椅子だった。大学はこの車椅子を、大学で学ぶものに無償で貸し与えてくれるという。

  こんな環境のため、志のある身体障害者は続々とバークレーに集まって来るという。彼もその1人だった。

  彼はゆっくりと、しかしはっきりと言った。日本ではぼくらは差別される。進学も就職も思うようにならない。でも何とかここまでやって来ることができた。自分の力で一人前に学んできたつもりだ。そして差別のないバークレーにきた。ここでは、コンピュータを学ぼうと思う。専門的な知識を身につけようと思う。そして最終的には、一人前に仕事をできるようになってみせる。

  先日、彼が大学に進学したという知らせが届いた。彼は今頃、アメリカで元気にやっていることだろう。



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