あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

8 マーク

  アパートの隣の部屋に、マークとゆかりという夫婦が住んでいた。マークはカリフォルニア出身のアメリカ人、ゆかりは関西出身の日本人だった。年齢は僕よりも少し若いくらい。オーストラリア旅行中に知り合ったのだという。マークはバークレーの経営学の学生で、ゆかりは美容師をしていた。彼らの家計はゆかりが支えているのだった。

  そういえばベイエリアでは白人男性とアジア人女性のカップルを意外とよく見かけた。なのにその逆は少ない。オレゴンに留学していた女性が言っていたものだ。日本人の女の子はもてるわよ。バーで飲んでいると必ず声をかけられるわ。日本に帰りたくないと思うくらい。でも日本人の男の子はもてないわよ。

  なぜだろう。彼ら彼女らの方が白人女性やアジア人男性よりも魅力的だということだろうか。思い当る節はあるが、悔しいので分析は避けよう。

  別の、日本に住む白人男性と日本人女性のカップルは、子供を作らないつもりだと言っていた。男の親戚にやはり日本人女性と結婚した者がいて、彼らには子供がいたのだが、その子がアメリカで友達にひどい差別を受けた話を聞き、自分の子供にそうなってほしくないと思ったからだと言う。

  僕は人種のるつぼバークレーに暮らしていたので差別を受けることは少なかったが、一歩町の外に出ると何度かいやな体験をしたものだ。レストランに入ると窓側の席は白人ばかりでアジア人である僕らは暗い席に通されたことや、田舎町で露骨に黄色人種は嫌いだと言われたこと。

  アジア人と結婚したマークはさすがに親アジア的だった。かつて日本に住んだこともあり、日本語を話さなかったがほとんど聞き取ることはできた。

  彼らの家にはよく遊びに行ったものだ。サンクスギビング(感謝祭)の日には、数人の友達とともに僕を招いてくれて、マークが焼いたと言うターキーをごちそうしてくれた。その他の機会にも、何度もマークの手料理をごちそうになったものだ。いつも手慣れていてうまい。まめな男だった。アメリカの家庭では男女平等に家事をするという話は本当だと思った。

  これに対し、日本は男女不平等社会である。いや、日本以外のアジアも、ヨーロッパも、アメリカに比べれば男女不平等だろう。

   日本に帰ってきたばかりのころ、テレビを見ていると司会の男性の横にほほえみうなずくだけのアシスタント女性がいることに違和感を覚えた。どうもアメリカの番組と違う。逆カルチャーショックの一つだった。アメリカの番組にはこのような飾り物の女性はいなかった。男女2人の司会者がいる番組の場合、2人の発言する量はほぼ均等で、はっきりした個性と意見をもつ対等な2人のかけ合いによって番組が進行していたのだった。もしもアメリカに日本のように女性アシスタントを出演させるテレビ局があったら、男女差別だというクレームの電話が鳴り響くことになるのだろう。

   アメリカ人女性よりもヨーロッパ人女性のほうが一般にセクシーに見えたことも印象的だった。アメリカの番組でミスユニバースの予選を放映していたとき、画面に写ったフランスの予選では腰を振ってセクシーに歩く応募者の姿が魅力的だった。これに比べ、アメリカの予選会では皆づかづかと大股で歩いていた。まるで男みたいだと思った。

   アメリカは、史上初の男女平等社会の実験を行っている特殊な社会なのだと思う。なにしろこうと決めたらつっぱしる国だ。かつて禁酒法を施行した国なのだ。ゲイも完全に市民権を得ている。サンフランシスコの住人の10人に1人がゲイだ。僕は個人的にはゲイは病気の一種などではないかと疑っているが、アメリカでこんなことを言ったら世論の袋だたきに遭うに違いない。アメリカでは、極端な男女平等が進んだ結果、女性が男性的になってしまい、こんな女性に魅力を感じ得ない男性がゲイになってしまうのではないかという仮説を、個人的は立てているのだが…。

   アメリカで暮らしてから、僕はそれまで気付いていなかった日本の男女差別に敏感になった。

   日本では子供に対して、男の子なんだから泣かないで、女の子なんだからおとなしくしなさい、などと言って育てる。この子は男の子だから自動車が好きだ、女の子だからお人形が好きだ、という。親の気持ちのなかに男女差別意識などみじんもなかろう。しかし明らかに男女を区別している。これに対し、アメリカでは平等に育てるから自動車好きの女の子もお人形好きの男の子もいる。差別せずに育てるとさほど男女差はないのかも知れない。

   日本では男女の雇用が均等でない。男の方が明らかに出世する。家事をする男は少ない。共稼ぎで同じように働いていたとしても、である。働く女性は増えている。しかし子供を産むために一度やめると再就職の口は少ない。独身の男は将来家族を養うことを考慮して貯蓄をしなければならない。なぜだかOLは人生設計に無責任でよい。すべての稼ぎを自分のショッピングと海外旅行とに費やしてよい。男のわずかな給料で暮らす気になれないので、結婚を遅らせ、働き、遊び続ける。結婚できない男は余り、焦る。

  なんだかひずんだ社会だと思う。やがて日本にもゲイが増えるかも知れない。

  さて、マークの話にもどろう。

  知り合って間もない頃、マークは僕をトリプルロックというバーに連れて行ってくれた。メンバーは、同じアパートに住み僕と同じ研究室に通っていた石井さんと、彼と、3人だった。トリプルロックは、自家製の三種類のビールが売り物の、バークレーでは有名な店だった。入口の横には大きな樽が並んでいて、ここでビールを作っている。2階建ての店内にはカウンターといくつかのテーブルがあり、いつも座りきれないほどの若い男女でにぎわっていた。店の客はほとんどが白人だった。人種差別はタブーだといいながら、白人は白人、黒人は黒人、中国系は中国系どうしで、それぞれにとって居心地のいい場所に集まっている。サンフランシスコの10人に1人は中国系だというのに、中国人を頻繁に見かけるレストランは中華料理屋だけだった。スキー場に行くと客はほとんど白人だった。どこにでも出没する日本人は、おもしろい習性を持った民族かも知れない。

   店のすみにはシャッフルボード(shuffle board)というゲームが置かれていた。長さ5メートル、幅50センチほどの細長い台の上に、細かく粒径のそろった砂が乗っている。その上に小さな円盤を滑らせると、円盤は滑らかに移動してゆく。ちょうど日本のゲームセンターにある、多数の小さな穴から空気が吹き出ている上に円盤を滑らすホッケーゲームと似ている。ルールは、台の端から手で円盤を滑らせて、ある目的地点の近くにいかに止めるか、というものだった。マークに説明を受け、ぼくらもこのゲームに参加した。この店では、見ず知らずの者と一対一で対戦し、勝った者がゲームを続けられるというルールになっていた。初めて試みた僕は残念ながらあっさりと敗戦してしまったが、それでも、見慣れぬゲームの魅力とビールを片手に陽気に騒ぐカリフォルニアンの明るさとに接することができ、とても愉快だった。また、ここのこくのある自家製ビールの味わいも忘れることができない。その後も、マークやその他の友達と、ビールの味と喧騒とを味わいにこの店を何度も訪れたものだ。

   ある日、マークが自分でビールを作ったという。前から彼は何か自分でビジネスを始めたいと言っていたのだが、今度ターゲットをビールに絞ったようだ。そして、ビールを作るためのセットをどこからか仕入れてきて実際に作ってみたらしい。酒好きの僕にソムリエになってくれと言うから喜んで行ってみると、何となく味が薄くて泡の出の悪い、手作り感あふれるビールができていた。味はなかなかいけた。

   その後も、やたらアルコールの濃いビールとか、黒ビール、はちみつ入りビールなどいろいろな試行錯誤品を試飲させてもらった。どれも個性的で味わいがあったことが懐かしい。

   周知のように、アメリカでは自分で酒を造ってもよい。許認可の制限がないから中小のビール会社が山ほどある。従って、全国ネットの大手のビールだけでなく、サンフランシスコローカルの有名ビールというようなものがある。それぞれ個性的でおいしい。

  日本でもビール製造の自由化が国会で審議されていたようなので、僕たちがビールを作れる日も遠くないかも知れない。

  マークはどこかの学生街あたりでトリプルロックのような店を経営してみたいという。経営学の学生だけあって、いくつかの学園都市をマーケットリサーチして、この街はこの点が良い、この街はここがだめだなどと分析してみせてくれた。

  そもそもマークは、高校を卒業後、働いたり世界旅行をしたりという生活を繰り返した後に、勉強したくなってバークレーに入ったという。そして、卒業間近の今、将来の事業に夢をはせている。勉強に多忙な日々であるのに、時間をみつけて新しいことを始めようとしている。

  それから、彼はモンタナ州に土地を持っている。山の中にある電気も水道もない二足三文の土地なのだそうだが、休みの度に訪れては木を切り倒し家を建てているという。別荘にでもするのだろうか。よく、でき上がったら遊びに来てくれと言ってくれていたので、いつか訪ねることを僕はひそかに楽しみにしている。

  彼の人生は、何だかのびのびして楽しそうだと思う。うらやましい。

  僕はどうして今の人生を選んだのだったか、とふと思った。エンジニアにロマンを感じたからだった。だが、本当にそうだったか。受験の時に工学部を選び就職の時に大手メーカーのサラリーマンを選ぶという、自らの可能性を次第に狭めてゆく選択をした結果、ここに落ち着いただけではないのか。いや、自らを活かす道として積極的に選び取ったのだ。だが、マークの自由奔放な生き方をうらやましいと思ったではないか。何かを犠牲にしているのではないか。何かを間違っているのではないか。

  ずっと会社に留まってエンジニアを続けていたら考えずに通り過ぎた疑問だったかもしれない。僕のこれまでの選択も決して悪くはなかったと思う。だがこれからはもっと広い可能性に目を向け、のびのびと生きてゆきたいものだと思った。

  さて、マークと接した2年も終わり、僕は日本に帰ってきた。彼のビールはどうなったろう。かなり洗練された味になってきただろうか。

  先日久しぶりに手紙が届いた。近々日本に来るという。具体的には書かれていなかったが、日本で何かビジネスを始めようと思い、その準備のための調査に来るのだという。再会が楽しみだ。

  ビールに関係あるのか、ないのか、わからないが、相変わらず情熱的に頑張っているなと思った。そう、情熱的なのだ。人生に対して情熱的なのだ。

  僕も、負けずに情熱的であろうと思う。



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