あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

11 ケンの教会

  ケンと出会ったのは、僕がクリスチャンサイエンスのチャーチに行くのをやめた頃だった。

  ケンたちはれっきとしたプロテスタントだという。これからはこっちの教会に行ってみようと思った。そして、ある日曜日の朝、僕はケンに連れられて教会を訪れた。

  まだ静かな朝に、自然に囲まれたバークレーの家並みの中を歩くことは心地よいものだ。空気は涼しく、鳥のさえずりが聞こえる。そんな中を、教会へ向かう人々が静かに歩いていた。

  ケンは事前に説明してくれていた。教会に来ている人々のほとんどがアメリカ人だと。しかし、教会に入ってみてまず驚いたことは、説明から受けた僕のイメージに反してほとんどの者が僕と同じ肌の色をしたアジア人だったということだ。

  彼らの多くは韓国系アメリカ人だった。

  ケンはなぜそう言わなかったのだろう。今も日本人は一般に対韓感情が良いとは言えないことへの配慮だったのか。それとも、人種差別をしない自然な表現だったのか。いずれにせよ、教会のほとんどの者は、UCバークレーに通う韓国系1世や2世だった。

  おかげで僕には黄色い肌のアメリカ人の友人がまたも増えることになった。

  ここの教会でも最初は全くと言っていいほど牧師の話を理解できなかった。何しろキリスト教用語だらけである。もっとも、しばらく経っていくつかのキーワードを覚えてからは、何とかわかるようになった。

  英語の聖書には、ヨハネがジョン、パウロはポール、ペテロはピーターと書かれていることも面白かった。まるでその辺のアメリカ人の名前だ。そもそも聖書に載っている名前を人々がつけているのだから当然ではあるのだが。

  最も印象に残っていることは、ケンや、教会の牧師や友人たちと、キリスト教そのものについて色々と語りあったことだ。今思えば、彼らの布教活動だったと言ってもいいかも知れない。ただ、布教と言うとあまりにうさん臭くて、友人たちとの会話が色褪せて感じられる。あくまで友人としての情熱ある交流だったと思いたい。前に述べたジェフとの交流についても同じ思いだ。

  彼らと交流する中で、僕はクリスチャンになりそうな感じがしたし、なりたいと思ったことが何度もあった。しかし結果として今のところクリスチャンではない。将来なるかも知れないし、ならないかも知れない。今のところ、すべての宗教に対して中立というところだ。

  クリスチャンと接して良かったことは、自分と価値観、人生観の異なる人達と、人生について真面目に話し合えたことだと思う。

  宗教に関して述べるのはタブーだということと、教会の友人たちに対して間違いや誤解があっては申し訳ないといった個人的な感情があって言いにくいのだが、敢えて僕の考えを記しておきたい。それから、当然ながら僕が述べることは僕のせまい経験の結果であって、クリスチャン一般の話ではないかもしれないことを断っておきたい。

  まず、クリスチャンとはどんな人達なのか。特にケンの教会にいたような、敬謙なクリスチャンとは、どんな人たちなのか。

  僕のような平凡な日本人が何となく仏教と神道の習慣に従っている、というのとは違って、彼らはクリスチャン以外の人とは一線を画している。排他的だというのではない。自分自身の意識として、洗礼を受け信者になった時点から生まれ変わり違ってしまうと明確に思っているという意味で、だ。日本で、ある住職の息子が、仏教とは考える事だ、と言っていた。一般人も考える。仏教徒と一般人は連続的だと思った。これに対し、キリスト教徒と一般人は不連続的だ。東洋的な宗教観と西洋的宗教観との違いかも知れない。

  キリスト教において洗礼を受けるということは、神を受け入れることだ。神を受け入れるとは、自分の親や子以上に神を愛すること、それから、自分は罪深い人間だと気付き悔い改めることだという。罪という概念はノンクリスチャンにはわかりにくいが、例えば神を他の何者にも増して愛さないなら、それだけで既に罪だという。そして心から神を受け入れた者は神のいる天国へ行ける。それ以外のすべての者は地獄へ落ちる。

  つまり、クリスチャンによると、クリスチャンになっていない僕は残念ながら死後に地獄へ行かねばならないらしい。

  地獄へなど行きたくなかった。また、説明を聞けば聞くほど整合性の取れているプロテスタントの聖書解釈に興味を持った。これまでの僕の科学的価値観と違う。何か矛盾点があるかも知れない、と追求したい思いもあった。

  そんなわけで、ケンや、やはり牧師の卵だったアンディにはキリスト教についてよく食い下がって聞いたものだ。アンディは、僕よりも2、3歳年上の韓国系アメリカ人で、後にバークレーの教会の牧師となった人だ。

  また、他の多くの教会のメンバーとも親しくなれた。一緒にテニスをしたりキャンプに行ったりし、楽しい思い出をたくさん残させてもらった。また、彼らの家やバークレーに山ほどある韓国料理屋で本格的韓国料理を幾度となく食べたおかげで、僕はキムチなしでは生活できない体になってしまったものだ。

   あの教会の韓国系アメリカ人たち。彼らは今も、静かな住宅街の一角にある小さな教会に通っていることだろう。



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