あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

13 サンタクルーズの夜

 牧師の卵アンディは、かつてバークレーの理学部の学生だったという。初めてキリスト教と接した時、徹底的にキリスト教の疑問点・矛盾点を追求したそうだ。その後キリスト教を信ずるに至り、神学校へ通ったのだという。ケンも同じだった。

 なるほど、そんな人たちが結果として牧師になるのか。では僕も、キリスト教を信じた暁には牧師になるのかも知れないぞ、などと思った

  キャンプの晩、クラブハウスの暖炉の脇で、僕らは夜明けまで語り明かした。

  僕は疑問点を投げかけた。

例えば進化論。生物学の進歩は、原始生物から人類までの進化の過程を少しずつ解き明かしつつある。これに対しキリスト教では神が初めにすべての生物を作ったという。矛盾するではないか。これにはこんな答えが返ってきた。クリスチャンは聖書に書かれた神の言葉によって世界を理解する。従ってそこに書かれている事を解釈するしかない。1つの解釈は、神が遺伝子まで似せてすべての生物を作ったとする説。その場合、恐竜の化石も神があらかじめ埋めておいた事になる。別の1つは、神が宇宙の始まり、ビッグバンを起こしたとする説。その時に、将来地上に人類や動植物が発生するようにセットしておいたのかも知れない。

確かに、ビッグバン以前の事は、測定不能であるから人類には知る由が無い。ここに神が介在したのかも知れない。僕の勘では、どうもビッグバンのような特異点は存在しなかったのではないかという気がするのではあるが。

  例えば、キリストの行った奇跡。新訳聖書によると、キリストは人々の病気を魔法のように直したという。そんな非科学的なことができるのか。できるのならなぜ今、神は奇跡を起こしてくれないのか。答えは、神は万能だから何でもできたということなのだそうだ。何しろ科学法則を作ったのも神なのだ。そして当時はまだ新約聖書もなく伝道者もいなかったから、神は奇跡を直接人々に見せて自分の存在を知らしめる必要があった。これに対し今の世の中には伝道者たちが書いた聖書があり、現代人は聖書を通して過去の事実を知る事ができる。従って、聖書の記述を信じるなら、現代人も奇跡を疑似体験している事に相当する。だから、聖書のある今、神はもはや奇跡を人に見せる必要がないのだという。

  では聖書の信憑性は。これには、聖書やキリストが実存した事や、彼らの行った事や書いた事が聖書に正確に記されているということの根拠を、さまざまな例を挙げてていねいに説明してくれた。

  夜明けまで話しても、キリスト教の矛盾点を見つける事はできなかった。それはそうだ。2000年間ずっと多くの人々に信じられてきたのだ。それなりの整合性がなければ、信ずるに値しなかったはずだ。

  ただし、初めに神がある事を認めた上での整合性である。その最も根源的な部分を無条件に受け入れた上での整合性なのだ。従って、他の一神教と同様、その神が真に絶対であるということ自体は信ずるしかない。そして他の一神教と神が異なる以上、他の宗教とは相容れないのだ。

  そして、相反する他の多くの宗教よりも絶対的にキリスト教が正しいという根拠を、僕は理解することができなかった。

  結局、今の僕はすべての宗教に対して中立という立場である。宗教の方から見ると中立という事はありえないのだそうだが、こちらが宗教を肯定または否定するだけの論拠を持たない以上、中立と言わざるを得ない。



前へ


目次に戻る