あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

16 オークランド火災

  1991年のある秋の日曜日の午後、部屋の窓を開けると空はオレンジ色だった。空一面が煙に覆われて薄暗かった。僕には何が起こったのかわからなかったが、ただとても威圧感があり、怖かった。

  その日は、それまで窓も開けずにうちで仕事をしていたのだった。急いでテレビをつけると火事のニュースをやっている。画面には燃え落ちそうになったアパートが写っている。火元から最も近かったというそのアパートの名はパークウッド。どこかで聞いた名前だ。

  アツシの家じゃないか。何度も遊びにいった日本人留学生アツシの家ではないか。

  バークレーの南にはオークランドという町がある。バークレーとオークランドは、西側がサンフランシスコ湾に面し、東は小高い山になっている。UCバークレーも山のふもとにあり、夕方には、遠くサンフランシスコ湾対岸のゴールデンゲートブリッジに沈む夕日を望める場所に位置している。東側の山は、やはりサンフランシスコ湾を望める好立地なので、斜面に添って多くのモダンな住宅が建ち並んでいる。

  アツシのアパートは、バークレーから南下してオークランドに入ったあたりにあった。小高い山の山頂付近に。その、アツシの家のあたりが燃えている。山に添った何10件もの家が燃えている。大規模な山火事だった。

  アパートの窓は西向きで、東側の山は見えない。そこで急いでアパートの外に出ると、山の斜面があかあかと燃えているのが見えた。うちから8キロほどの距離だ。いくつかの赤い炎から、黒い噴煙がもうもうと上がっている。噴煙はそのまま天に続き、空一面を覆っている。昼下がりだというのに、光をさえぎられた世界は薄暗い。そして不気味なオレンジ色だ。見たこともない光景だ。戦争中の空襲とはこんなだろうかと思った。

  アツシは無事避難できただろうか。呆然と火事を見つめている間もなく、うちの前にツヨシの車がやって来た。奥さんと、子供2人が乗っている。無事だった。彼らは、朝からサンフランシスコの動物園に遊びに行っていたという。そのあとツインピークスという丘からオークランド方面の火事を見て、自分のアパートの近くではないかと急いで帰ってきたそうだ。ところが、家の周りは通行止めになっていて、アパートには近付けなかったという。

  結局、彼のアパートは全焼した。パスポートも、家具も、思い出の写真も、そして修士論文のための実験データも、すべてが消失してしまった。彼のまわりの家も、何10戸も燃え尽きた。火事の原因は不明だった。自然発火によるものか、火の不始末によるものか。幸い死者は出なかった。住む所を失った多くの人々は近くの学校に収容されることになった。アツシの一家はしばらく僕のアパートに滞在することになった。

  すべてを失った彼らはどんなに辛かったことだろう。僕は何をしてあげることもできなかった。できたことはと言えば、ただ、ツヨシが新しい家を見つけるまでの2週間の間、僕のアパートを提供したことだけだった。

  本当は僕が彼らを励ましてあげなければならなかったのだろう。が、彼らを元気づけたのは僕ではなく彼らの子供達だったことを思い出す。子供たちは、2歳のたくみ君と1歳のちいちゃんといった。2人とも、明るく人見知りをしないいい子だった。僕にもなついてくれて、よく一緒に遊んだものだ。不謹慎だと言われようが、正直言ってアツシたちのいた2週間の間、僕は楽しかった。誰も待つ人のいなかった独り暮らしのアパートに、子供達が待っていてくれ、お帰りなさいと迎えてくれたのだから。何も知らない彼らの明るく無邪気なふるまいを見ているだけで、僕の心はなごんだものだ。火事のショックと今後への悩みに暗くなりがちな両親の気持ちをも元気づけたことだろうと思う。

  アツシは、ある電気メーカーから派遣され、UCバークレーの機械工学科修士課程で学んでいた。彼はちょうど僕と同じ頃にアメリカに来て、1年半の留学期間もほぼ終わり、修士論文をまとめて年末には帰国しようかという矢先だった。そんな時に、修士論文のためのデータも、書きかけの論文も、すべて消失してしまったのだ。

  アツシにとって、彼がうちにいた2週間は多忙な日々だった。日本領事館にパスポートの再発行の申請に行ったり、子供達の着替えを買ったり、住む家を探したり、留学期間の延長を会社に申し入れたり。あちこちを駆け回っていた。

  日本の会社の対応もなかなかのもので、数日するとアツシの会社の上司が職場のみんなから集めたという見舞金を手に日本からやってきた。留学期間も3か月延長された。

  地域の対応も迅速だった。

  近所のスーパーマーケットのレジの脇には、すぐに火災被害者のための募金箱が設けられた。僕が日頃買い物をしていたのはオークランドの安売りスーパーだった。買い物客の生活レベルは相対的に低い。それでも、きれいとはいえない身なりの人達が、次々に募金箱に寄付をしてゆく。それもつり銭の小銭ではなく、紙幣を入れてゆく人が多い。自分の生活だって楽ではなさそうなのに、だ。

  テレビやラジオでも、不要な衣類や毛布、食品などを持ってきて下さい、と、レッドクロス(赤十字社)のアナウンスが繰り返されていた。日本には赤十字病院という病院があるのでレッドクロスとは病院のことかと思っていたが、アメリカではボランティア組織であるらしい。後に聞いた話では、日本の赤十字病院も、赤十字社というボランティア組織の一部なのだそうだ。

  アツシたちはは火災発生時に外出していたため、家族の着替えひとつ持っていなかった。親には僕の衣類を使ってもらうことができた。しかし、子供達の着替えはない。アパートの中を走りまわる無邪気な子供達を前にして、母親は言った。私たちはいいんです。でも、子供達の着るものがなくなってしまったことが辛いんです。

  大量の着替えを失ったとはいえ、アツシたちは自分の全財産を失ったわけではないのでまだましだと思う。これまで築いてきたさまざまな思い出の品や子供のための必需品のみならず、自分の家や財産をすべて失って路頭に迷った人達はどんなに辛く惨めな思いをしたことだろうか。

  ある日アツシたちは、リッチモンドにあるレッドクロスの仮設救済センターへと出かけていった。すると、驚くほどの生活物資が集まっていたという。まだ新しい種々の衣類、寝具、パンや缶詰、缶ジュース、様々な食品、生活雑貨、子供のおもちゃ、・・・。

  彼らが被災者だと知ると、そこにボランティアとして働いていた人達は暖かく声をかけてくれたそうだ。がんばって下さい。何でも好きなものを、好きなだけ持って行ってください。そして、もういいというくらいたくさんの生活用品を持たせてくれたという。

  たくみ君たちの母親は、子供達の衣類を抱えてアパートに帰ってきた。

  はしゃぐ子供達に原色のかわいい服を着せてみながら、彼女は言った。レッドクロスに感謝しています。こんなにも、私たちのことを心配してくれ、励ましてくれる人がいるとは思いませんでした。アメリカに来てから一番暖かい経験でした。おかげで、希望を持って頑張ろうという気持ちになることができました。本当に、心から、感謝しています。

  彼女の話を聞いていて、僕は目頭が熱くなった。

  アメリカは、なんて優しいんだ。

  日本のマスコミではアメリカのすさんだ面がクローズアップされ過ぎている。確かに犯罪は多いし失業率も高い。しかしこれはアメリカの一面なのだ。日本よりも多様な国家であるが故に、悪い面は日本よりも悪いかも知れない。しかし、日本では考えられないような心の美しい一面もあるのだ。こちらを見落としていては片手落ちというものだ。

  雲仙の噴火で家を失った人達に我々日本人はどれだけの援助をしてきただろうか。パキスタンの洪水や、アジアの難民、アフリカの飢餓、イラクで戦死した兵士の遺族、エイズの人達に、我々は何をしてあげられただろうか。アメリカでは、その度にボランティアが町を行進し、募金箱が設けられ、人々がテレビで訴えていた。心から、辛い人、困った人のために役に立ちたいという優しさが、国中に満ちあふれていた。

  どうしてアメリカはこんなに優しいのだろう。

  愛の宗教といわれるキリスト教文化圏に属するからかも知れない。冷めた言い方をすれば、キリスト教には人を優しくするメカニズムが内蔵されているからかも知れない。人に差があることの痛みを人々がよく知っている社会だからかも知れない。また、一部には偽善的な大金持ちもいるかも知れない。

  いずれにせよ、弱者の問題を自分たちの問題として捉え助け合うアメリカの優しさに、今の日本に欠けているものを見た気がした。

  仮に人生はゲームだとしよう。ならば自分にとって楽しいゲームである方がいい。そして他人にとっても楽しい方がいい。そのために個人は、個性的な生き方をした方がよい。なぜなら、平凡な横並び的なやり方では新しい価値を創造できない。その場合にはパイを取り合うゼロサムゲームとなってしまう。つまり、誰かが勝つと誰かは負ける。誰かが楽しければ誰かは悔しい。これに対し、人と違った独自的な生き方ができ、人と違った価値を生み出し得るなら、人を負かすことはない。人のゲームの楽しさを奪う心配はない。

  ここまではわかっていたつもりだった。人生が無常なゲームだったとしても、独創的でありたいという僕のやり方は悪くなかったと思う。

  だが、オークランド火災は、もっと大事なことを見落としていたことを、僕に気付かせてくれた。

  優しさ。

  独自的、独創的、個性的といった道を歩んでいれば、確かに人に迷惑をかけないかも知れない。しかし、人を救うこともできない。

  これに対し、優しさは、更に一歩進んで積極的に人を救える。人のゲームをも、よりよい人生のゲームにできるかも知れない。

  ささやかながら僕も、スーパーのレジで募金をし、レッドクロスに衣類を持っていった。



前へ


目次に戻る