あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

1 カナダ上空

  はじめてアメリカ大陸を見たのは、留学のひと月前に東京からシカゴに向かう飛行機の窓からだった。僕はイリノイ大学で行われる学会に参加するために、アメリカに向っていた。

  あと1時間で到着します、というアナウンスに、窓のブラインドを開けて外を見ると、そこにはアメリカ大陸が広がっていた。穀倉地帯だ。地平線まで延々と平らな地面が、道路で格子状に区切られている。所々に小さな湖も見える。ほんの時たま、家や車が見える。それ以外はすべて農地なのだ。なんだこれは。

  島国で育った僕には、大陸という響きは何か魅力的に思えた。島とは比べものにならないダイナミックな自然が広がる豊かさと美しさを思い描いていた。ところが生まれてはじめて目にするアメリカ大陸は、僕の期待を完全に裏切る世界だった。なにしろ見渡す限り人の手によって開発し尽くされた世界なのだ。自然破壊なんてものではない。きっと耕作に適した土地なのだろうが、よくもまあここまで人が世界を支配したものだ。

  本来はどんな世界だったのだろう。見渡す限りの草原だったのだろうか。木々が生い茂っていたのだろうか。耕作に適しているのだから肥沃な土地であるに違いない。かつては動物や植物たちが共生していたことだろう。

  そんな世界がすべて、人の生産活動のために作り替えられているのだ。これだけ自然を破壊し尽くしたからこそ、その反省から、今アメリカでは日本よりも環境保護運動が盛んになってきているのだろうか、などと思った。

  それから、どこまで行っても同じ景色の続く単調さも衝撃的だった。大陸とはこんな退屈な世界だったのか。僕はこんなところには住めない。海や山のある複雑な地形がいい。

  シカゴは、穀倉地帯に突然現れた都会だった。小さな土地に、世界一高いビルなどの近代建築が林立していた。そこから小さな飛行機に乗り継いで、アーバナ・シャンペーンという小さな町に到着した。イリノイ大学は、町はずれにある広々とした大学だった。

  ここの大学に留学していたある日本人が、勉強する以外に何もすることのない所だと言っていたのを思い出す。確かに、延々と続く農地の間にあるこの小さな町は、勉強をするにはいい環境かも知れない。

  帰りの飛行機でも窓際に座った。子供じみていると言われるかも知れないが、僕は飛行機の窓から外を見るのがとても好きなのだ。不思議と、外を見ている人はあまりいない。グランドキャニオンへ行くと高い金を払ってセスナに乗り谷を見おろす日本人観光客が、旅客機に乗っている時にはなぜ外を見ないのだろう。

  窓の外は、やはり単純な穀倉地帯。これでは皆飽きて見ないわけか。

  それでも僕は、何を作っているのだろう、どんな人が住んでいるのだろう、やはり家は

  広いな、などと思いながらしつこく見ていた。すると、次第に道の数が少なくなり、人の手の加わっていない土地が増えてきた。小さな湖の数も増えてきた。やや大きな湖があったので、座席の前に常設されている冊子の地図と見比べてみる。それらしい湖があった。どうやらカナダに入ったらしい。地図に国境線は描いてないが、アメリカとカナダの国境、北緯49度線は、耕作地になる土地か否かで分けられているみたいだ。

  しばらく経つと、全く耕作地は見られなくなった。時折細い道路が頼りなげに走っているだけだった。

  そしてそれは、これまで見たこともないくらい美しい景色だった。

  地面には無数の湖が広がり、太陽に照らされ輝いている。湖畔の形状は複雑に入り組み、抽象表現主義画家の絵画のようだ。ある湖は澄んだエメラルドグリーン。あるものはブルー。あるものはシルバー。またあるものは深いブラウン。すぐ隣に位置した湖であっても色は全く異なる。含有する金属イオンの種類が異なるためだろうか。

  川も美しい。やはり様々な色に輝き、神秘的なラインを描いて流れている。おもしろいことに、湖の中を流れている川もあった。エメラルドグリーンの湖の中に、白、青、白の3本の線が、共に蛇行しながら伸びている。川が、運んできた白い砂を自分の両側に堆積させながら湖の中に伸びることによって形成された地形なのだろう。

  気候のためか、土質のためか。人が生産活動をしなかったために残されたカナダの自然。これぞぼくの期待していた、いや、期待していた以上の、大陸の魅力だ。

  結局、飛行機がアメリカ大陸上空を飛んでいる間中ずっと、僕は窓を覗き込んでいた。おかげで首が痛くなってしまったが、その後、空にそびえた冠雪のカナディアンロッキーと、太平洋上に伸びるアラスカ半島も見ることができた。いずれもスケールの大きな自然だった。

  やはりアメリカ大陸には大自然があふれているぞ。ひと月後に迫った留学を心待ちにしながら、僕は日本に向った。



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