あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

2 フロリダ

  2年間のアメリカ滞在中、僕は2度、国内の学会に参加した。ペンシルバニア大学で行われたスマートアクチュエータシンポジウムと、フロリダはオーランドのディズニーワールドヒルトンで行われた超音波シンポジウムという学会だ。後者は、ちょうどアメリカでの自分の研究内容を発表するのに適当なIEEE(アメリカの電気学会)の会議でもあり、行ったことのないフロリダが会場でもあるので、一石二鳥だった。

  ディズニーワールドヒルトンというホテル名を会社に言って、遊びに行ったように思われては都合が悪い。そこで会社にはオーランドヒルトンで行われたと連絡した。

  ところが、学会で出会ったある大学教授が、後に日本で僕の会社の上司に会った際に、言わなくてもいいのに、ディズニーワールドで前野君と会いましたよ、と告げたという。おかげで、上司にはあたかもディズニーワールドで遊んでいる時に出会ったかのように誤解されてしまった。もちろん実は実際に遊んだので、まんざら誤解でもないのだが。悪いことはできないものだ。

  さて、学会はホテルの会議室で4日間にわたって行われたのだが、僕は自分の発表の日と、自分に関係のあるもう1日とに参加して、後の2日はサボった。そして、1日はディズニーワールドへ、もう1日はケネディースペースセンターへと出かけた。

  若い女性なら1度は行ってみたいであろうディズニーワールドだが、たった1人で学会に参加し誰も知人のいなかった僕は行くのを躊躇したものだ。しかしせっかくここまで来たのだ。行ってみねばなるまい。東京ディズニーランドとほぼ同じアトラクションのあるマジックキングダムは置いといて、未来の世界とワールドショウケースのあるエプコットセンターへと出かけた。

  カップルや親子連れでにぎわう中を、僕は1人駆けまわり、普通2、3日かかるといわれるのに、夕方にはすべてのアトラクションを廻り終えていた。特に印象に残っているアトラクションもないが、日本を紹介するコーナーの法隆寺の五重塔の色と形が変だったのが気に入らなかった。それから、お年寄りのカップルが多いのも印象的だった。東京ディズニーランドが若い人ばかりなのと対照的だ。アメリカのお年寄りは元気なのか、若い人にはアメリカ有数のリゾート地フロリダに来る資金力がないのか。

  日本人は意外と多かった。カップルか女性のグループ。日本人と出会うと、この人はどうして男一人なの、と思われているようで、どうも居心地が悪かった。まあ僕はこっちのアジア人と同様汚いTシャツにジーンズといういでたちだったから、日本人に見えなかったかも知れないが。実際、留学当初は人に日本人ですかと聞かれたのに、しばらく経ってからはいつも中国人に見られたものだ。

  しかし金持ち日本人、よくもまあこんな遠い遊園地にまで来るものだ。せっかく海外旅行に行くんなら、もっと文化や自然に接しなさい。遊園地なら、花屋敷とか多摩川園とか、君たちがまだ行ってないおもしろいのがあるから日本で行きなさい。フロリダへ来たらワニを見ろ。ワニを。説教したくなるのは、もう年だからか?

  ケネディスペースセンターは、オーランドの町からバスで一時間強走り、大西洋岸にたどり着いたところにある。

  僕は、バスを乗り継いで出かけた。

  このあたりは一年中暑く、降水量の多い地域だ。いたる所に湖沼があり、亜熱帯の木々が茂っている。道路を走っていると、まるで運河のように、道に沿って沼が点在している。いや、点在というより、道の脇にはほとんどいつも沼があったように記憶している。

  そして、沼にはワニがいるのだ。

  飛行機の場合と同様、僕はずっとバスの窓の外を眺めていた。すると突然一人の乗客が、クロコダイル、と叫んだ。彼が指差す方向を見ると、そこには沼を悠々と泳ぐ茶褐色の動物の姿があった。全長1メートル50センチ位。ごつごつした体の上部を水上に覗かせて、ゆっくりと泳いでいた。

  ワニだ。野生のワニだ。

  僕は興奮した。野生の動物を目の当たりにすると、なぜだかとても感動する。動物園やテレビで見た時とは比べものにならない。ダイビングをして見る魚が水族館の魚よりはるかに美しく感動的なのと同様だ。

  なぜだろう。

  大自然の中、自分の力で生れ育った生命力と出会った喜びだろうか。ワニが育てるような、日常とかけ離れた世界を垣間見た喜びだろうか。

  烏や雀を見てもあまり感動できない。見慣れているためだろうか。ワニは見慣れていないからだろうか。

  ここはかなりの都会だ。道路は整備され、家が立ち並び、人が住んでいる。こんな所にワニがいるとは。そんな意外性の驚きだろうか。もっと、アマゾンの奥地のような人間社会と隔離された場所にいそうなのに。アメリカ人が入植してくる前には、ここもアマゾンのような密林だったのかも知れない。人が来てからワニの数も減ったことだろう。彼らは今や道路を隔てた友人に会いに行くこともできまい。それでも、こうして人と共存し得ているということは、案外ワニはたくましい種なのかも知れない。

  結局、往復3時間ほどの道のりの間に、数回ワニを見ることができた。あるものは泳いでいた。あるものは岸辺で昼寝をしていた。

  ケネディースペースセンターには、様々な技術展示とともにロケットの実物が展示されていた。わずかな期間に科学技術は進歩したものだと実感した。アポロの小さな3角錐が巨大なロケットの頭の部分に申し訳程度に取りつけられているようであるのに対し、スペースシャトルはかなり洗練された形だ。人を乗せる部分を脳に例えるなら、ちょうど恐竜と哺乳類のようだと思った。

  このまま進歩が続けば、もうすぐロケットは人間を連想させるような形に進化しそうだ。人類が宇宙でものを生産したり、太陽系を自由に往来する日もそう遠くはないだろう。

  20世紀科学技術の最先端と、野生のワニ。

  進歩と共存。

  人類がこれから歩むべき道を、フロリダは暗示しているように思えた。



前へ


目次に戻る