あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

スカイダイブ

   遥か前方には太平洋、後方にはシェラネバダ山脈を望み、田園風景を見下ろしながら、風に吹かれ空を飛ぶ。あの感じを僕は決して忘れないだろう。

  バークレーからI80(アイ・エイティー、Interstate 80 、国道80号線)を車で約1時間北東に進むと、カリフォルニア州都、サクラメントに到着する。そのすぐ手前にデービスという小さな町がある。デービスは、農学や生物学で有名な、我がカリフォルニア大学システムのひとつ、UCデービスのある学園都市である。そして大学に近接して、ヨロ・カウンティー・エアポートという小さな飛行場がある。

  実はこのあたりは、ロサンジェルスオリンピックに出場したスカイダイビングチームのホームグラウンドなのだ。

  ある日、友人にスカイダイビングをしてみないかと誘われた。彼も初めて試みてみようと思っている所なのだという。

  そんな、墜落死してしまいそうなスポーツは怖くていやだ、と思った。しかし大和男子が意気地無しだと思われては困る。日本人への評価にもかかわる。

  僕は胸を張って、ああいいぜ、と答えた。そんなわけで、僕は友人2人とスカイダイビングの体験コースに参加することになった。I80を走る車の窓から延々と続く小麦畑をぼんやり眺めながら考えたものだ。たかが体験コースだ。スキーの初心者講習やスキューバダイビングの体験コースと何ら変わらないささやかな体験のはずだ。いや、しかし空中を落下するんだぞ。パラシュートが開かなかったらこの世の終わりだ。まるでロシアンルーレットだ。こわい。気が小さいくせに人前に出るとそれを隠し無理して堂々とふるまうタイプの人間がいる。自分がまさにそれなのを確認してしまった。あーあ、しかしやるって言ってしまった。いや、もう仕方ない。俺も武士の子孫だ。やるぞ。

  武士の切腹の時の心境はきっとこんなだろう、などと思った。俺みたいな意気地無しの武士もいただろう。

  切腹と違って幸い僕は死ななかった。自分の勝手なレジャーを、武士の潔さの証たる自決と比較しては、御先祖の霊に対して失礼だったかも知れない。
 さて、スカイダイビングを個人として楽しむためにはライセンスが必要である。ライセンスを取得するためには合計10回弱の講習を受けねばならない。その第1回目が体験ダイビングを兼ねていたのだ。この講習第1回目は、インストラクター2人に片手で腰の部分のベルトを持ってもらったまま自由落下(free fall) した後に、自分でパラシュートを開き、パラシュートを操縦して目的地点に降りるというものだった。

  勇んで(?)体験ダイビングに臨んだ僕らはいきなり自分だけで飛行機から落下する体験ができるものかと思っていた。しかし説明を受けてみて、それは危険過ぎることがわかった。体と頭で覚えねばならないことが意外にたくさんあり、1人で飛び降りるためには約10回のレッスンが必要なのだった。

  もう一つ、別の体験ダイビングコースがあった。こちらはライセンス取得のための講習とは関係なく、タンデムフォールといって、インストラクターにしっかりと接続されたまま飛行機から飛び降り、すぐにパラシュートを開いて、インストラクターのなすがままに降りてくるものだった。

  やはり自分で飛び降り、自分でパラシュートを開かねばなるまい。ぼくらは前者を選んだ。こちらのコースなら、もし気に入れば続けてライセンスを得、その後に1人で落下することもできる。手でつながっているだけなら、自分だけで空から降りてきた気分も味わえよう。

  このコース、すなわち、体験ダイビング兼ライセンスのための第一段階は、1日がかりだった。

  まず午前中いっぱいかけて、いろいろなことを習う。地上での模擬実技と、講義と。飛行機のどこにつかまり、どんなタイミングで飛び出すか。降りたらどんな態勢で自由落下するか。その間何をどうチェックするか。いつどんなタイミングでパラシュートを開くか。どのようにパラシュートの異常をチェックするか。どうやって操縦するか。風に対しどう進むか。そしてどうやって着地点に到達し、どのようなタイミングで着地するか。

  第1回目の講習なので、パラシュートを開く所からの説明にかなり重点が置かれていた。パラシュートが開いた後は全くの1人なので、生きて帰るためにはその後の手順を確実に覚えておかねばならないということだろう。

  着地地点は200メートル四方ほどの広さの草原である。その脇には高圧電線が張られ、横を道路が走っている。過去に、電線に引っ掛かってしまった人もいたという。もしも道路を走る車の目の前にでも飛び降りてしまったら目も当てられまい。

  昼食をはさんで四時間ほどの講習も、午後2時ごろには終わった。さあ、実技だ。ついにその時がきたのだ。

  ちょうどカリフォルニアでも、NHKの大河ドラマ「太平記」を放映していた。新田義貞の軍が鎌倉に攻め入り、片岡鶴太郎ふんする北条高時が自決するシーンを思い出した。日本ではあまりテレビを見ない僕も、アメリカでは日本語に飢えていたため、土日に数時間ずつ行われる日本語放送を欠かさず見ていたものだ。そういえば、話はそれるが、NHKの大河ドラマにコマーシャルがあるのも妙だった。民法が放映していたので当然なのだが、場面の盛り上がった所で、日本人向けのカリフォルニア米のブランドや、バークレーに工場を持つ某日本酒メーカーや、サンノゼあたりの中華料理屋のCMが割り込んでくる様は、日本では味わえない独特の雰囲気があった。

  パラシュートの開かない確率は1000分の1だという。1000回に1回とはとても危険に思える。だが大丈夫。予備のパラシュートが付いている。何100回も使っているメインパラシュートの故障の確率が1000分の1だから、検査された新品同様の補助パラシュートの不良率は1万分の1ぐらいか。もしそうなら、メインと予備と、どちらも開かない確率は1千万分の1ということになる。この数字を見るとかなり楽観的になれる。一千万回飛び降りるためには毎日1回飛び降りても2万7千年かかるのだから。2万7千年も続けていれば1回ぐらい墜落もするだろう。

  しかし現実には、スカイダイビングで命を落とす確率は高い。機材はこんなに安全であるのに、車で事故死する確率よりもはるかに高い。これは、人が判断ミスをする確率が高いということだ。それだけリスキーな精神状態に置かれているということだろう。それはそうだ。いすに座って道路の上を走っている時よりも、空中を落下している時の方が、人の心の状態が危険であることは容易に推測できる。

  その日は、風のない晴れた日だった。僕らはパラシュートやゴーグルや、その他必要な器材を身に付けてセスナに乗り込んだ。小さなセスナは、8人ほどの乗客を乗せてヨロ飛行場を飛び立った。騒音と揺れの大きいおんぼろで、今にも墜落しそうだった。

  8人の乗客の内訳は、ライセンスを持っていて自分1人で飛び降りる2人と、体験ダイビングをする2人、そしてそのインストラクター2人ずつだった。僕のインストラクターは、白人の白ひげのおじさんと陽気なおばさんだった。ベテランのようで安心した。

  飛行機の高度は1万フィートを越えた。ちょうど富士山の高さだ。するとライセンスを持つ2人が、あたかも止まっている飛行機のドアから地上に降りるように、あっさりと飛び降りて行った。

  次は僕だ。

  3人で同時に飛び降りる手順は、地上で何度も練習していた。僕が両手で飛行機の出口につかまり、1人のインストラクターは飛行機の外に、1人は中につかまっている。そして僕が、

     check in, check out, prope, up, down, arch 

 というフレーズとジェスチャーと共にゆっくりとリズムを取る。言葉の意味はこうだ。まずcheck inと言いながら飛行機の中のインストラクターと目を合わせる。次に、check out と言いながら飛行機の外のインストラクターと目を合わせる。そしてprope と言いながらプロペラを見る。upと言いながら伸び上がり、downと言いながらしゃがみ、archと言いながら身体をアーチ型に反らせ、飛ぶ。

  僕は、check in ...を始める体制に入った。吹く風は激しかった。しっかり捕まっていないと吹き飛ばされそうだ。風切り音とプロペラの轟音がすさまじい。下には何もない。

  僕はまだ、飛び降りる心の準備ができていなかった。心を落ち着けねば、と思いつつふっと飛行機の中を見た。インストラクターと目が合った。うなずいている。え、なぜ?ひょっとすると僕がcheck inの合図をしたと解釈されてしまったのか。そんな。まだなんだよ。

  えーい、もういいや、という思いだった。僕は続けた。check out, prope, up, down, arch!

  無我夢中で飛び出した瞬間、僕は空中を自由落下していた。ジェットコースターのような、ふわっと浮き上がるような、いやな気分だ。しかしそれはほんの3秒位の間だった。落下速度が増すと、空気抵抗が大きくなる。空気の粘性による力と、地球の万有引力によって引っ張られる力とが釣り合った。僕は等速落下運動していた。

  しかし、僕は頭を下にして揺れながら墜落していた。身体が安定しない。なぜだ。落下しながら、僕は焦った。

  その時、白ひげのおじさんが手で合図をしてくれた。手を反らせている。この合図は、アーチだ。つまり、もっと身体を反らせてアーチ型になれという合図だった。僕はアーチ型になっているつもりでいながら、実は身体が縮まってしまっていたのだった。

  僕は、両手両足を広げ、思い切って身体を反らせた。するとすぐに揺れは収まり、身体は安定した。へそを中心にして、身体は水平になった。

  地面は遥か彼方だ。近付いてくる気がしない。落下しているというよりも、下から冷たく激しい風が吹き上げ、その上に乗っているようだった。後で聞いた所では、4千フィートの地点でパラシュートを開くまで、僕は52秒間落下していたという。安定して風に乗っていたのは、そのうち30秒くらいだっただろうか。

  爽快な気分だった。宙に浮き、何物からも解き放たれたようだった。このまま飛んで、どこへでも行けそうだった。人間ではなくなって宇宙と一体化したような格別な気分だった。眼下には耕作地が見える。遥か彼方まで幾何学的に小さく区切られ、褐色や緑色に塗り分けられている。遠くには、自分よりも低い位置に雲海が広がっている。その向こうには雪化粧したシェラネバダ山脈が見える。

  静かに身体が180度回転した。余裕があったのでインストラクターが身体の向きを変えてくれたのだった。今度はバークレー方面が見えた。雲が多かったが、雲間から太平洋も見えた。

   高度計を見ると、針は4千フィートを示していた。さあ、仕事だ。僕はパラシュートを開いた。メインパラシュートはもつれもせずに無事開いてくれた。その瞬間、これで生きて帰れると思った。横長の長方形のパラシュートを操縦して落下地点まで操縦する操作もおもしろかった。地上に降りるまで約五分。僕はゆらゆらと風に吹かれた。

  スカイダイビングをすると人生観が変わると、ある友人が言っていた。僕の場合、そこまで大げさなものではなかったかもしれない。しかし、これまで知らなかった感覚だったのは確かだ。今でも飛行機の窓から景色を見下ろしていると、あの時の自由な感じを思い出し、飛び降りたい衝動を覚える。

  それにしても、あのアーチの合図をしてくれた白ひげのおじさんは、命の恩人のように思えた。心から頼りになると思った。実際、あの時僕は、あのおじさんに自分の命を預けていたと言っても過言ではないという気がする。

  いずれにせよ、スカイダイビングという体験によって、僕は鳥になれた。大自然との一体間を感じることができた。そして、生きて帰ることの喜びも感じ得た。

  自然は偉大だ。人の命ははかなく、そして尊い。



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