あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

モノレイク


Mono Lake

  この章から第15章グレイトベイスンまでは、スプリングセメスター(春学期)後の試験休みに日本人の友人と車で訪れた旅行の記録である。第8章イエローストーンまでが留学1年目の終わりに行った旅行の、第9章オルガンパイプカクタスから最後までが2年目の終わりの旅行のダイジェストである。

  1年目には、同じ研究室に某電気メーカーから留学していた石井さんと、僕の車、青いシボレーキャバリエで、2週間かけてアメリカ西部を縦断した。石井さんは僕より1つ年上の、聡明で礼儀正しく温厚な先輩だった。男2人の旅行は色気もなく、意見が合わずに喧嘩などしがちだが、石井さんの温厚さと度量の広さのお陰で気分よく旅行をすることができた。現在では住まいも離れてしまったが、頻繁に連絡を取らせてもらっている。

  さて、旅行の計画は2人でかなり几帳面に立てた。ほとんどの宿泊場所は前もって予約した。

  日本の若者の間ではやっている某旅行雑誌がある。韓国語の海賊版も出回っているというから国際的といえよう。この本では行き当たりばったりでその日の宿を捜すことを推奨しているようだが、僕は可能なら前もって予約すべきだと思う。アメリカの有名な観光地はシーズンにはかなりの人出であり、例えば国立公園内の安くて立地の良いホテルは通常予約でいっぱいである。ぼくらもこの旅行中、予約なしでシアトルを訪れた。都会なので宿などすぐに見つかるだろうとたかをくくっていたのだ。ところが、なかなかモーテルが見つからなくて車で右往左往したものだ。旅行中の貴重な時間を宿捜しに使うのはもったいないし、体も疲れる。日没後となれば危険でもある。

  アメリカにはAAAのガイドブックという優れた本がある。

  AAA(トリプルA、アメリカンオートモービルアソシエイション)とは、アメリカ版JAFである。JAFと違って、AAAのオフィスへ行くと会員には無料でアメリカじゅうの地図をくれる。旅行の道のりを説明すると、行程に添った地図を編集してくれさえする。

  さらに、州別の旅行ガイドを無料でもらえる。これには訪れるべき名所が解説されているだけでなく、多くのホテルやモーテルがリストアップされている。そして、AAAのランキングが一つから5つのダイアモンドの数で示されている。僕らはこの本をたよりに道のりと日程を決め、◆◆◆(スリーダイアモンド)の50から100ドル位のツインルームを中心に、宿も決めた。訪れてみると、いずれもガイドブック通りに、国立公園の真っ只中だったり、雰囲気のある丸太造りだったりして満足したものだ。

  さて、初日は朝早くバークレーを出て、デスバレーの近くのビショップという町まで、500キロの道のりをただただ南下するという計画だった。距離をかせぐ日だったため、これといって訪れたい場所はなかった。

  カリフォルニア州の東側、ネバダ州との州境には、シェラネバダ山脈が南北に走っている。五月の末とはいえ、山脈には雪が積もり、多くの峠越えの道は閉ざされている。ビショップに行くためにはヨセミテを横断してシェラネバタを越えると近いのだが、残念ながらヨセミテ横断道、タイオガロードはまだ閉ざされていた。しかたなく僕らは、まず北東に進み、デービス、サクラメントを越え、レイクタホに出てから南下するルートをとった。

  実はこのルートも道に積雪していないか不安だった。数日前に通行可能となった道ではあるがいつ雪が降り始めるかわからない。もしも途中雪道でチェーンを装着する必要があるなら、500キロの道程を終える頃には夜になってしまう。

  はたして、レイクタホから南下する395号線を走り始めたあたりで雪が降り始めた。すれ違う車もまばらで、葉を落とした木々や荒れ地が広がる峠道である。この日走る道の中で最も標高の高い2千メートルという地点だった。心細かった。初日からどうなることかと話したものだ。幸い雪は小降りのままだった。降り積もることもなく、僕らは無事峠を越えることができた。

  そこから395号を南下する道は爽快だった。右手に連なる雪山を望み、近景には牧場や草原や畑を見ながら、緩やかな起伏のある道を快適にドライブした。壮大な景色だった。

  数時間も走り続けたところで、大きな丘を越えた。すると眼下に大きな湖が見えてきた。地図で確認すると、モノレイクという湖である。ちょうど、閉ざされているヨセミテ横断道のあるあたりまで来たことになる。丘を下り始めるあたりにビスタポイント(見晴らし地点)があった。僕たちは車を止めて、湖を見た。丘のふもとは大きな盆地となっていて、その中心にモノレイクが広がっている。人の住む気配はない。湖のわきにはこれから走る道が見えるだけである。盆地の周囲は、遠く雪山が取り囲んでいる。奇妙なことに、湖の周囲が真っ白だった。盆地は全体的に褐色で、冬の雑草が生えているらしいのだが、湖の周囲だけになぜか真っ白い地帯がある。

「何でしょうね。あの白いところは。」「雪かな。」しかし山頂ならいざ知らず、湖岸だけに雪が残っているのは変だ。「塩かな。」

 まだ行ったことはないがグレートソルトレイクの周りは塩で真っ白だという。ここも塩分のために白くなっているのかも知れない。まあ、行ってみればわかるだろう。僕たちは再び走り始めた。僕たちの車は、緩やかなカーブを描きながら丘を下っていった。

  盆地に下りると、道はモノレイクの右端に向かってまっすぐに南下していた。そして、湖に到達するあたりにT字路があった。地図を見ると、ここを左折すればモノレイクの北岸に近付けそうだ。今日は他に訪れる所もない。行ってみることにした。地図にはないがどこかの小道から湖岸に出られるかもしれない。実際、一度舗装されていない小道を見つけて右折してみたのだが、ここはひどいでこぼこ道でいくら走っても湖岸に近付かない。余りに車の底に石が当たるので、こんな所で車が壊れたら誰も助けに来るまい、と引き返したものだ。

  この、湖の北岸を東西に伸びる道が、やたらにまっすぐだった。延々と続く褐色の荒野。右手になぜだか白い湖岸。遠景に雪山が見える。前方は、やはり遥か遠くに雪山。その切れめに向かって、一直線に道が延びている。不思議な景色だった。後にアメリカの長い直線道路を何度も走ったのだが、ここの景色はその中でも特に印象に残っている。

  しかし、いつまでも西に向かっていても仕方がない。戻って、南下する道から湖岸を目指すことにしよう、と作戦を変更しかけた所で「左ゴーストタウン」という標識が出た。これもおもしろそうだ。行ってみよう。今度は僕らは北上することとなり、湖岸の白色の原因究明はまたも先送りとなった。

  まわりに荒野しか見えないでこぼこ道を土煙を上げながら1時間も揺られていると、ボディ(Bodie) というゴーストタウンに到着した。そこには木造の教会を中心に壊れそうな木造の建物が密集していた。もちろん人は住んでいない。数人の観光客がいるだけだ。閑散としていて、寒かった。床屋の跡、洋服屋の跡、住宅の跡、という標識の向こうに今も床屋の椅子や陳列された衣類の残る家屋を見ながら町を抜けると、銅採掘場の跡があった。巨大な機械がさびついたまま放置されている。その向こうには小さなチャイナタウンがある。ゴールドラッシュの頃、ここでは金ではなく銅が取れたという。そのころは、ニューヨークからシカゴ、ソルトレイクシティーを経て(今のI80を通って)アメリカを横断してきた人達と、中国から太平洋を越えてやってきた労働者とでにぎわっていたのだろう。それが今や殺伐として、人が住めるとはとうてい思えない環境だ。まさに、ゴーストタウン。完全に死んでしまった町。何だか、人類滅亡後の地球にやって来たような寒々とした気分になった。

  さて、僕らは再び振動の激しい砂利道のドライブに耐え、まっすぐな道を走り、本来の南へ向かう道に戻った。そしてヨセミテに向かうタイオガロードに合流するすぐ手前で、道は湖岸に最接近した。道の脇には駐車場があり、湖岸へ向かう遊歩道が作られていた。僕らは車を止めた。

  不思議な光景だった。目の前には、奇妙な、白いゴツゴツした物体が地面から無数に突き出していた。高いものは5メートルもあろうか。無数のこまいぬのようである。地蔵のようでもある。いずれにせよ、複雑に造形された白いでこぼこの塔が、湖岸を埋めつくしているのだった。

  地面は白く、ぬかるんでいる。そこから10センチほどの高さの所に、木を組んだ歩道が作られていた。白い塔の間を抜ける遊歩道を、僕たちは湖岸まで歩いた。湖の中にも、所々に白い塔が見える。まっ白な湖岸には、たくさんのかもめがいた。そして、あたり一面に何とも言えない悪臭が漂っていた。何の匂いだろう。この白い物体か。かもめか。湖か。

  遊歩道に添って、所々に説明図があった。モノレイクはグレートソルトレイク同様、塩湖だという。湖の下にはカルシウムを含む地下水脈が流れている。そして、湖の底にできた無数の亀裂で湖水と地下水とが出会い、両者が反応して炭酸カルシウムができる。これが湖のなかに堆積して塔を作る。塔に割れめができると再び反応が起こり水中の塔は成長してゆく。

  モノレイクは、以前はもっと大きく深かったという。しかし、数10年前にこの湖に流れ込む川にダムが造られ、水が水道用に利用されたために、湖の水位が下がってしまった。水量が減少するにつれ塩分の濃度は高まり、今やグレートソルトレイク以上だという。そして今も干上がり続けているそうだ。水位が下がったために、本来水面下にあった塔は湖の上や外にさらされることとなった。

  白い色の原因は炭酸カルシウウムの堆積物なのだった。この炭酸カルシウムの塔はtufaと呼ばれており、州と国とに保護され採集を禁止されている独特の造形なのだった。

  複雑である。この不思議な景観は、自然の作用と、ダムという人為的な自然破壊との複合作用の結果作られたものなのだ。ボディのゴーストタウンも、自然が作った鉱脈を人が破壊するために作った町のなれの果てだった。

  人が自然を破壊することによって作られたこの二つの景色。一方は白く美しく、他方は荒れ果てて寂しかった。人は自然を何に変えたいのだろうか。



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