あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記



グランドキャニオン

  ラスベガスから砂漠を東に走り、延々と続く森をまっすぐに北上すると、突然巨大な渓谷につき当たる。全長なんと460キロ、幅数10キロ、深さ1600メートル。

  西部開拓の幌馬車隊も、ここに到着した時に、越えようのない谷の大きさに唖然としたという。

  1000万年という歳月をかけて、コロラド川が作り上げたこの渓谷が、グランドキャニオンだ。

  ここの自然を堪能するためには、最低1週間は滞在する必要があろう。歩いて、またはロバに乗って谷を下り、20億年前の地層が侵食されて露出している谷底で過ごしてみるべきなのだろう。残念ながら僕たちは、わずか2泊、サウスリムという南側の崖の上のホテルを予約しただけだった。何しろ、わずか16日でアメリカをほぼ縦断して戻ってこようという計画だ。一ヵ所に長くとどまる余裕はなかった。従って、サウスリムにあるビューポイントを一日かけて車で回るのが精一杯だった。

  いくつかのビューポイントからの眺めはさほど変わらない。なぜだか余り感動しなかった。写真やテレビでよく見る景色だと思った。余りにもスケールの大きい渓谷を、ビューポイントから客観的に眺めただけだったからだろうか。やはり、もっと近付いて、川の作った自然に接するべきだったのだろう。

  もう少し近付いてやろう、と思った。ビスタポイントには一応柵が作られていて、その中から渓谷を眺めるようになっていた。柵の向こうには崖のせり出している箇所があり、そこへ行けば千メートルを越える崖を真下に見下ろせる。そして何人かの無謀者がそこまで行っている。日本だったら危険なので柵を作り立入禁止にされそうな場所だが、ここでは行ってもいいらしい。アメリカは自由の国である。危険を侵す自由も、墜落する自由も規制されないようだ。

  柵といえば、東京近傍の観光地はつまらない所が多い。海や山に観光に行くと、舗装道路が整備され、ここという地点には駐車場が作られている。車を止め、露店の前を通って見晴らしのいい地点に行くと、りっぱな柵が作られ、説明用の看板が置かれている。もちろん柵の向こうは立入禁止である。また、地面が掘り返されて美しい公園に作り替えられていたりする。そして柵の内側では、たくさんの観光客が記念撮影をしている。

  どうしてこうも自然が作り替えられていて、どうしてこうも人が多いのか。

  東京から遠い地方の観光地はまだましだ。自然の素朴な味わいがまだ残っているし、人も少ない。

  グランドキャニオンで余り感動できないと思ったのも、あまりに多い観光客の数に圧倒されたからだろうか。ここはロスアンジェルスやラスベガスから近いので人の数が多いのだろう。しかし、自分だって観光客の一人だ。人の多さに文句を言うわけにもいくまい。

  ちょうど、誰もいない絶壁があったので、僕はそこへ行ってみることにした。

  岩の間をくぐったり、上ったりすると、すぐに断崖の上に到達した。おそるおそる崖のふちに近付いてみる。足がすくむ。腰を落としてそっと近付き、崖に足を垂らして座ってみた。後ろから人に押されたら間違いなく転落する体制だ。

  見下ろすと、茶褐色の地面が遥か下までまっすぐに切り取られていて、その下の大地が森になっている。目のくらむような距離だ。

  1000メートルの静寂。涼しい風が静かに吹き上げてくる。動くものは何もない。1000万年の巨大な芸術。人々の喧騒から離れて、初めてグランドキャニオンに直に接したような気がした。

  静かに谷を見下ろしていると、眼下にゆったりと鳥が飛んできた。僕よりも何100メートルも下を、だ。谷底から見ると遥かな高さだろう。僕から見ると遥かに下だ。鳥は、吹く風に乗って、静かに浮上したかと思うと、羽ばたいて旋回する。そしてまたじっと風に乗った後に、羽ばたいて進む。まるで空中の舞を楽しんでいるかのようだ。鳥がゆったりと空を飛ぶ姿を、鳥の遥か上方から見下ろす気分は格別だった。壮大な大自然の中で、鳥と人の位置が逆転していた。はじめて見る景色に、感動した。

  喧騒を離れた絶壁で、眼下を飛ぶ鳥と出会うことによって、僕は巨大な渓谷の偉大さを感じることができた。

  人は、偉大な自然と個人的に接し、自分だけの未知の体験をする時に感動できるのかも知れない。そんな時に、人の力ではどうしようもない自然の驚異を実感できるのかも知れない。

  なぜだろう。他人がいると、個人の感性もにぶるのだろうか。静かに自然に接する時、心はとぎ澄まされ、自然の姿が見えてくるのだろうか。

  大自然の壮大さを僕に垣間見せてくれた偉大な渓谷、グランドキャニオンでは、今も鳥たちが自由に羽ばたいていることだろうか。



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