あるエンジニアの
バークレー
(アメリカ・カリフォルニア州)
留学体験記

11 チリカフア


Chiricahua National Monument

  チリカフアナショナルモニュメントは、アリゾナ州の東南の端、メキシコとの国境近くにある、ひっそりとしたナショナルモニュメントである。

  僕たちはツーソンからチリカフアまでの200キロの道のりを走っていた。どこまで走っても荒涼とした砂漠が続く。背の低いサボテンやジョシュアトゥリーがまばらに生えているだけの退屈な景色だ。太陽は照りつけ、気温は高い。AAAのガイドブックだけが頼りで土地感も知識もない2人は、再びオルガンパイプカクタスのような灼熱地獄へ向かっているのではないかと不安だった。

  しばらく砂漠を走っていると、次第に背の低い木が目立ち始めた。緩やかに高度が上がり、気温が低下していたのだ。見れば遠くに森が見える。そこがチリカフアだった。

  窓を開け、心地よい風に吹かれながら長い高速コーナーを走るうちに、車の周りの木々の高さは数メートルとなった。そこに、ナショナルモニュメントの入口があった。

  入口の近くには、他のナショナルパークやナショナルモニュメントと同様、ビジターセンター(案内所)がある。手にしたパンフレットによると、ここでは車で行けるところがほとんどないという。数時間から十数時間かけて歩くハイキングコースがあるのみだ。ところが僕らはこの日、450キロ離れたテキサス州のエルパソに宿を取っていた。時間がない。こんな時、無計画で急ぎ足の旅であることを嘆くが、今更しかたがない。僕らは最も短い2時間のコースを歩くことにした。

  車で少し走るとハイキングコースの起点に到着した。緩やかな丘の山頂付近だった。人気はなく、駐車場に数台の車が止まっているだけだ。風は涼しいが、雲一つない空からの日差しは強い。水筒を入れたデイパックを背負い、ハイキングコースに向かう。駐車場から歩いて、まず、山頂を越える。その瞬間、目の前に開けたのは、見たこともない景色だった。

  見渡す限りの、石の塔の世界。

  巨大なこけしのような、と言おうか、トーテンポールのような、と言うべきか。奇妙な形の薄い褐色の石の塔が、無数に、遥か彼方の山のふもとまで、緑の大地から突き出している。高さは数メートルから数10メートル。岩と岩の間隔は数10センチから数メートル。岩たちは、地層に添って侵食され、いくつものくびれが入りごつごつしている。まるで人間のようにも見える。巨人の群れ。

  今にも崩れ落ちそうな岩ばかりだ。巨大な岩の塊が最大径の10分の1ほどしかないくびれの上に乗り、微妙なバランスを保っているものもある。岩の芸術の世界だ。

  岩の造形の美しい場所はアメリカに無数にある。僕も、グランドキャニオン、モニュメントバレー、ザイオン、アーチーズ、ヨセミテ等々を訪れ、それぞれに感動した。しかし、ここではそれらのいずれとも全く異なった印象を受けた。

  なぜだろう。一つには、緑の中にあることに因ろう。他の多くは荒涼とした砂漠のような人の生活を拒絶する場所にそびえている。これに対しここは、木々が茂り、涼しく快適でほっとする美しさがある。ヨセミテもこの範疇に入る。

  地質学や気象学には詳しくないが、乾燥した地形に岩の造形美が形成され易いのかも知れない。水が豊富にあると、植物が育ち、土に根を張り、岩の浸食を妨げてしまう。すると岩々は形を変えることをやめてしまう。

  たぶんここではある程度乾燥した時期に岩が侵食され、その後に大地が隆起して気候が変わり木々が茂ったのだろう。ヨセミテも同様だ。氷河期にできたU字谷の上に今の緑の木々が成育している。

  調和しているように見える岩々と木々とは、実は経てきた歳月が全く異なるのだ。数百万年もかけて作られた岩の形と、数十年の木の形。

  僕たちは、岩の巨人達の間を歩いて1周するコースを歩いた。僕は写真を撮るためにしばしば立ち止まったので、石原さんと歩くペースが合わなかった。そこで、落ち合う場所を決めて別々に歩くことにした。

  ハイキングコースは、かなり起伏のある険しいコースだった。高さ数10メートルもの連なる岩々の上を歩いた後に、道なき道を下り、細くそびえる岩を見上げ、小川を渡り、また岩々への道を登っていく、というような。

  へんぴな場所にあるためか、チリカフアを訪れている人は少ない。2時間歩いている間に出合ったのは、遠足のような10数人の高校生の団体と、他の数組の人達だけだった。それ以外の時間は、自分の足音と、鳥と虫と風の音しか聞こえない静かな時だった。まるでたった1人で石の塔の迷路の中をさまよい歩いているようだった。

  アメリカの真っ只中の見知らぬ土地でただ1人、自然の中にいる気分は格別だった。後になってアメリカの大自然に想いを馳せる時、実は僕が1番に思い出すのはチリカフアである。あの奇妙な石の塔の中にいた静かな時。大地に抱かれた気分。グランドキャニオンで谷を見下ろし、静かに飛ぶ鳥を見て感動した時と同じような心境だ。しかし、あの時は自分のすぐ後ろにはたくさんの観光客がいた。静寂を感じたのは残念ながらほんの一時でしかなかった。それに対し、ここチリカフアでは、もう少し静寂に浸ることができた。

  人が自然の偉大さを想うのは、そのままの自然が残された静かな場所なのかも知れない。本当は自然は、人が足を踏み入れない時に一番美しいのかも知れない。それはそうだ。それが一番自然な姿なのだから。観光客である僕たちは、実は自然破壊者なのだ。

  人が自然を求めれば求めるほど、自然は遠ざかってゆく。何だか切ないパラドックスではある。

  僕の個人的な思い出の地、あのチリカフアには、いつまでも静かにたたずんでいて欲しいものだと思う。



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